17歳の少女の衣類をはぎ取り…「若いきれいな女」ばかりを狙った鬼畜「小平義雄」が死刑の直前に口にした「意外な言葉」

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明るみに出る凶行

 8月29日。小平は、6月13日に品川駅付近の焼け焦げたトラックの下から遺体で発見されたB子さん(17)を暴行の上、殺害したことを自供した。B子さんは小平と顔見知りで友人と共に小平の仕事場に遊びに行き、パンやソーセージをもらっていた。「6月9日、ビスケットをやると言ってB子さんを誘い出し、パンやマカロニを与えて関係を迫ったが拒絶されたので乱暴の上、絞殺。死体を遺棄した」(同)

 捜査本部は、過去1年以内に起きた同種事件で、未解決になっているものを精査・検討することになった。その結果、小平の関与が疑われる未解決事件が十数件も浮上、関連捜査を進めると共に、取り調べを進めた。

 9月18日。迷宮入りとなっていた昭和20年の事件が、小平の自供で判明する。同年7月15日、池袋で食料買い出しの行列に並んでいたC子さん(21)に「一緒に買い出しに行こう」、9月28日には東京駅中央線ホームで友人と待ち合わせていたD子さん(21)に「米を売ってくれる知り合いの農家がいるから案内しよう」と声をかけ、共に現在の清瀬市内の雑木林に連れだし、乱暴の上、殺害。死体を遺棄した。

 9日後、小平は終戦前から一連の犯行に手を染めていたことが判明する。昭和20年5月25日、海軍第一衣糧廠のボイラー係をしていた小平は、同僚である女子挺身隊員E子さん(21)に関係を迫り、拒絶されたことから、やはり乱暴の上、殺害。遺体を品川防空壕に遺棄した。戦時中で軍隊の関係施設であるから、この事件は憲兵隊が捜査にあたり、小平ではない男を容疑者とにらんでいた。そのすきに小平は退職。終戦と同時に憲兵もなくなり、事件は未解決になっていた。

 まだ犯行は終わらない。同年6月22日には新栃木駅で声をかけたF子さん(30)から食料入手に困っていると言われ「この近くに知り合いの農家がある。そこへ行けばいくらでも米が買えるから案内しよう」と誘い出した。同7月12日には渋谷駅でG子さん(22)に「日帰りで食料の買い出しが出来る農家があるから、一緒に行こう」。そして暮れも押し迫った12月30日には浅草駅でH子さん(18)に「米を安く買える農家があるから案内しよう」と言って誘い出す。3人の女性の末路は同じだった――。

 他にも2件、計10名に対する罪で小平が起訴されたのは、昭和21年12月27日だった。

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