捜査線上に浮上した「中国人」…強盗団リーダーが明かす「ナンペイ事件」の裏側 「強盗は少ない人数でやると失敗する。だから、失敗したんだ」 

国内 社会

  • ブックマーク

「日中混成強盗団」

 95年7月、東京・八王子市のスーパーで女子高生ら3人が無残に射殺された凶悪事件。未解決のまま30年を迎えるこの事件には、全容解明に向け、あと一歩のところまで迫った瞬間があった。【鹿島圭介/ジャーナリスト】

 第1回【犯人逮捕まであと一歩だった…「八王子スーパー強殺事件」発生から30年 全面解決目前に捜査を潰した捜査員たちの大罪】からの続き

 警視庁刑事部捜査一課のNo.2、理事官として捜査を主導した原雄一(68)が重い口を開いた。

「名古屋で日中混成強盗団を率いた日本人の口から解決への糸口となる人物の名が明かされた。その中国人のことは、既に武田を取り調べる前に特別捜査本部では解明し、海外の住居も特定していました。その中国人のことを武田が自ら話し出したとき、我々の捜査は間違っていないことを確信しました」

 重要な証言をした日本人、武田輝夫は中国・大連の拘置施設に拘置中だった。前回に続き、彼の地でこの武田本人が話した証言を紹介しよう。時間を今一度、09年に巻き戻す。

〈僕が中心となった日中混成強盗団は名古屋が拠点で、愛知県内や京都などで資産家宅の強盗を繰り返しました。このメンバーに、K・Rという中国人の情報屋がいた〉

 大連の施設の一室で武田は淡々と語り始めた。

〈もともとKは同郷の福建省の中国人だけで、関東で、現金、高級ブランド品や貴金属類を奪う強盗団をやっていた。仲間割れから名古屋に流れてきて、僕と組むようになった。Kに頼まれ、犯行用の車や運転手を用意したこともある〉

 武田同様、日中混成強盗団への捜査網が狭まり、自身に司直の手が伸びるのを察知したKも、2002年4月、日本から逃亡し、香港を経由して故国に戻っていた。

〈このKとは中国に来てからも連絡を取り合い、一緒に麻薬ビジネスをやったこともある。2004年頃だったかな、奴が僕にこう打ち明けた〉

 原がこの事情聴取の状況を述懐する。

「大連での武田の取り調べは、北京の公安当局の監視のもと、私の質問を大連市公安局の通訳が聞き取り、それを中国側の取調官に伝える形式をとりました。初日は、両国とも不慣れで、質問の細かいニュアンスがうまく伝わりませんでした。それでも辛抱強く数日間続けるうちに、中国側との信頼関係が醸成でき、そこからは調べが一気に進みました」

次ページ:浮上した「謎の中国人」

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。