カズオ・イシグロ氏が“記憶”に魅了される理由 「遠い山なみの光」映画化を受けて語った記憶と歴史、そして「壊れやすく、得難い平和」

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 2017年のノーベル文学賞を受賞した日系英国人作家カズオ・イシグロ氏。9月に公開される映画「遠い山なみの光」は、イシグロ氏が1982年に出版したデビュー長編小説の映画化作品だ。

 イシグロ氏のルーツでもある長崎を舞台に描かれるのは、第二次世界大戦と原爆投下という経験に苦しみながらも、自身の未来を力強く選び取ってゆく二人の女性「悦子」(広瀬すず)と「佐知子」(二階堂ふみ)。その生き方が戦後80年のこのタイミングに投げかけるのは、個人と社会が選び取る「記憶」の問題だ。

 戦争の記憶が失われ、新たな戦争が次々と起こる時代に、人は何を記憶すべきなのか。去る5月のカンヌ国際映画祭でフランスに滞在していたイシグロ氏に話を聞いた。【渥美志保/映画ジャーナリスト】

次の世代に記憶を伝えることの重要性

 ――「遠い山なみの光」はご自身の初の長編小説です。価値観が激変する戦後の長崎を舞台に、後にイギリスに渡った女性・悦子を主人公にした理由を教えてください。

 複雑な質問ですね。私のデビュー作の背景には、長崎で第二次世界大戦を経験した母親から聞かされた話があります。原爆の話だけではなく、いい話も悪い話も含めて、戦時中におきた様々な話を聞きました。この小説以前のいくつかの短編小説の中には、母から聞いた話をそのまま書いたものもあります。

 母自身も「自分の記憶を次の世代に伝えること」の重要性を考えていたのだと思います。しかし、この小説を書き始めた45年前の1980年、この小説では母について書かないと意識的に決めました。ベースには母から聞いた体験談があり、主人公である悦子と私の母には共通する部分もあるでしょう。ですが、悦子は母を描写したものではありません。私にとって非常に重要だったのは、戦後の長崎と1980年代をつなぐ存在として、母親の話を聞く娘、ニキというキャラクターを登場させたことです。

 以上が作品の背景ですが、それ以外に、物語や出来事がどのように世代を超えて受け継がれるのかという点にも、非常に興味がありました。かつて長崎で起こった出来事、そして長崎の物語に登場する若い女性たち――過去を乗り越えて未来へ進む勇気を見つけようとしていた若き日の悦子と佐知子、そして、長崎時代の悦子が佐知子から学んだこと。

 そうした物語が、1980年代に別の世代に向けて語られることに興味があったのです。そして、戦争や原爆のような出来事や、当時の人々の経験が今も持っているバイブレーションが世代を超えてどう伝わってゆくのか、そのことが人々の人生にどのようなインパクトを与えるのかという点にも。

受け継がれ、忘れられ、捻じ曲げられる記憶

 ――悦子の記憶は時に曖昧になり、失われ、改変されています。人間の記憶のそうした部分について、思うところを教えてください。

 私はいつも記憶に魅了されます。ご存じのように記憶はほとんどの場合、不正確ですよね。私は「なぜ人は記憶を自分の都合で別の形に歪めてしまうのか」ということに興味があるのです。そのことは、私達の心の奥底にある感情――罪悪感やプライドについて、非常に多くを物語っていると思います。そして、人間が過去の記憶をどのように形作るのか、その記憶の中に何を隠しているのか。そんなことにいつも魅了されてしまうのです。

 さらに付け加えるなら、社会が様々な出来事をどのように記憶するかということにも、常に興味がありました。これは“記憶が人々に受け継がれるシステム”に関係しています。たとえばこの物語では、母親が娘のニキに自分の過去を語りますが、こうした行為は世界中のあらゆる社会や国、地域で行われ、社会的な記憶となるのです。

 そしてこの社会的な記憶もまた、個人の記憶と同じように、歪曲、自己欺瞞、逃避によって捻じ曲げられてゆきます。ですから、私は2つの階層の記憶――個人的な記憶と社会的な記憶の両方に、長く興味を抱いているのです。つまり、あるものが記憶される一方で、あるものは忘れられ、捻じ曲げられてゆくことについて。

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