校閲者から見た「優秀な編集者」の条件とは…ギリギリまで待たされるけど憎めない「不思議な魅力」を持つ編集者も

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ショックを受けた書き込み

 優秀な編集者として、次に挙げたいのは「校閲の仕事をちゃんと見ている」編集者です。

 以前にも書きましたが、編集者の仕事の一つとして「校閲から出た疑問の取捨選択や整理」があります。

 もちろん、校閲も編集側に余計な手間をかけさせないように、不要な校閲疑問はなるべく出さないようにしますし、わかりやすい、丁寧な書き込みを心掛けています。

 それでも、作家さんと直接やり取りするのは編集者ですから、「この校閲の書き方では、作家さんにはちゃんと伝わらない」と判断した場合、校閲疑問を適切に書き換えたり補足したりしていただけると非常に助かるのです。

 昔、私がショックを受けた編集のゲラへの書き込みとして、「校閲がこんなこと書いてますけど、ママで良いですよね?(笑)」というものがありました。

 いや、校閲をヒール役に仕立てること自体は個人的には構いませんし、作家さんとのやり取りをスムーズに進めるためにも、その時には必要な書き方だったのかもしれません。

 でも、やはりちょっと悲しいですよね。「校閲がこんなこと書いてますけど(笑)」と書くくらいなら、事前に校閲とやり取りして書き方を変更するとか、編集のほうで校閲疑問をきれいさっぱり消していただいて構わないわけです。

 ただ、編集者が対処しきれないほど校閲の書き込み方がひどい、という事例もあり得なくはないでしょうから、校閲者も日々謙虚に学び、スキルを磨くことが絶対に必要です。

 そう考えると、忙しい中でも「よりよい校閲」を求めて厳しく内容を吟味し、校閲を「教育」してくださるタイプの編集者も有難い存在と言えるでしょう(でも、本当に必要な疑問まで消さないでくださいね……)。

 一方で、校閲に「任せてくれる」編集者、というのもある意味では有難いのですが、「放置する」のとは違う。このことは定期的にでも主張していきたいところです。

編集者と「余白」

 他にも事例はたくさんあるのですが、また別の機会に……。

 昨今は出版界の構造的な変化やSNSの爆発的な普及もあり、編集者の仕事も大きく様変わりしているようです。「良い本を出せば売れる」時代は終わり、編集者自らが「売り方」を考え、自ら宣伝する必要が出てきた、とよく言われます。それに伴い、編集者の仕事の範囲は大きく広がり、輪をかけて忙しくなっているという話も聞きます。

 では、編集者に余裕がなくなると、校閲側にはどのような影響が出るでしょうか。

 例えば、編集者の手元に入稿待ちの原稿が滞留して、校閲側のスケジュールが圧迫されてしまったり、校閲の疑問をよく精査する時間もないまま、右から左で作家さんに送ってしまったりするケースが想定されます。他にも、色々な現場で弊害が出てくる可能性があるでしょう。

 よく、「ゆとり」がないと面白いものは作れないと言われます。ゆとり――言い換えると「余白」「のりしろ」を持った仕事ができる未来の出版業界であってほしいなあ、と思います。

甲谷允人(こうや・まさと Masato Kouya)
1987年、北海道増毛町生まれ。札幌北高校、東京大学文学部倫理学科卒業。朝日新聞東京本社販売局を経て、2011年新潮社入社。校閲部員として月刊誌や単行本、新潮新書等を担当し、現在は週刊誌の校閲を担当。新潮社「本の学校」オンライン講座講師も務める。

デイリー新潮編集部

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