「明るみに出る」と「明るみになる」はどちらが正しい? 「サンコクさん」の用例は他の辞書よりも「数段踏み込んでいた」

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 皆様こんにちは。新潮社校閲部の甲谷です。

 今回もクイズからいきますね。

「半分正解できれば御の字だ」などと使われる「御の字」という言葉。「文化庁 国語に関する世論調査」の平成30年度版で、この言葉についての調査が行われています。

 では、同調査で、「御の字」の「辞書等での本来の意味」と紹介されているものは、次のうちどちらでしょうか?

A……一応,納得できる
B……大いに有り難い

「明るみになる」はダメ?

 さて今回は、「明るみになる」「明るみに出る」という表現にまつわる話をしたいと思います。

 隠れていた事実が世間に知られる、という意味で「明るみに出る」という言葉が使われることがありますよね。週刊誌でも頻繁に使用される語句です。毎週、見るといってもいいくらいの頻度でしょうか。

 しかし、「明るみになる」と書かれた原稿を目にすることもあります。この「明るみになる」は誤用で、本来は「明るみに出る」が正しい、とする向きも多いですが、果たして本当に誤用と言えるのでしょうか?

 有名な事例なので先行研究も多いのですが、ここで改めて「明るみになる」をめぐる状況を概観してみたいと思います。

語感によって言葉の普及状況は左右される

 まず、クイズでも登場した文化庁「国語に関する世論調査」を見てみますと、令和2年度版で「明るみになる」「明るみに出る」が調査されていました。

 そこでは、「明るみになる」を使う人が43.0%、「明るみに出る」を使う人は44.1%と、ほぼ拮抗しています。先ほど書いたように、「辞書等で本来の意味とされているもの」は、「出る」のほうですが、「なる」派がすぐ後ろに迫っているといった状況です。

 世間での使用状況はどうでしょうか。

 連載で以前ご紹介した「フレーズ検索」を使うと、Yahoo!の検索で「明るみになる」は約51万件、そして「明るみに出る」は約27万件でした。世の中では「なる」のほうが多く使われているのかも知れません。

 少し話が逸れますが、ある表現の普及状況には「本来の意味」とは別に「語感」というものが関係していると私は考えています。

 例えば、「うがった見方」という表現。これは本来、「するどい観察力で本当の姿をとらえた見方」という意味なのですが、実際の会話で「それはうがった見方だな~」と言うと、「あまり根拠もなく、深読みする」という意味で使っている例の方が圧倒的に多い気がしますし、ゲラ上でもよく見かけます。

 なぜこのような意味の揺れが生じたかというと、「うがった」という言葉の語感が大いに関係しているのではないかと私は考えます。「う」「が」の並びが、何となく「斜に構える」、もしくは「邪推」「普通とは違う角度」といったイメージを類推しやすいのではないでしょうか。このような例は他にも色々あります。

「明るみに出る」「明るみになる」においても、「語感の良さ」で言うと「なる」に軍配を上げる人が多い気がします。「出る」ではちょっと大げさな感じで、「なる」という、いかにも日本語らしい遠回しな、「いつの間にかそうなった」ような言い回しのほうが、何となくソフトですよね。

 この「語感」という要素は、校閲という仕事の本質を突き詰めて考えていく際にも無視できないものであると私は思います。本来の意味として正しいものだけを残せばいい、というものでは決してないのです。

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