「明るみに出る」と「明るみになる」はどちらが正しい? 「サンコクさん」の用例は他の辞書よりも「数段踏み込んでいた」
「明るみに出る」派の辞書が多い
……少々、持論が長くなったので、ここで客観的要素を。そうです、「辞書」の出番です。
まず、「広辞苑 第7版」では「明るみ」の項の中の用例として、「明るみに出る」のみが紹介されています。
つづいて、「明鏡国語辞典 第3版」では、【注意】として以下のように記されています。
〈「明るみになる」は「明るみに出る」「明らかになる」との混同、「明るみにする」は「明るみに出す」「明らかにする」との混同で、どちらも誤り。〉
気持ちいいくらいに、「明るみになる」は誤りである、と断定しています。
では、こちらも当連載おなじみの高校教科書密着型辞典、「三省堂 現代新国語辞典 第7版」ではどうでしょうか。結論としては、「広辞苑」と同じように「明るみに出る」の用例のみが紹介されていました。なお、「新明解国語辞典 第8版」「日本国語大辞典 第2版」でも同様でした。
「サンコクさん」の見解は
ここまで挙げた5つの辞書ではすべて「明るみになる」を用例として載せていないか、誤用と断定しているか、のどちらかでした。
それに対して、私が持っている辞書の中で唯一、「明るみになる」を許容している辞書がありました。これまでの連載をお読みくださっている方ならお分かりかもしれませんが、そう「三省堂国語辞典」です。第8版から引用します。
〈明るみに出る……(かくれていたことが)世間に知られる。明るみになる。「不正が明るみに出る」【!(注意マーク)】「出る」「なる」の二つの言い方があるのは、「公に出る」「公になる」と同じ。〉
他の辞書よりも数段踏み込んで、「明るみになる」にスポットを当てています。「サンコクさん」(三省堂国語辞典の愛称として、そう呼ばれます)は「出る」「なる」の二つの言い方があるとして、「明るみになる」にも市民権を与えているわけです。今後、「明るみになる」が多くの辞書上で採用されていく可能性もありますね。
校閲としてはどうするか。私は、現状ほとんどの辞書が「明るみになる」を許容していないことから、こだわりがないのであれば「明るみに出る」のほうが良いのでは、とする校閲疑問を出しています。しかし、今まで連載で取り上げた多くの「移り変わりつつある言葉」と同様、今後の動向を注視せねばならないでしょう。
この記事がもしも2050年に読まれたら、もしかすると「2025年ではこういう状況だったのか! 今は“明るみになる”のほうがフツーだけどね!」ということが、明るみに出る……かもしれません。



