「ペット・サウンズ」は早過ぎた名作だった… 繊細で孤独な天才「ビーチ・ボーイズ」のブライアン・ウィルソンさんの変わらなかった信念

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は6月11日に亡くなったブライアン・ウィルソンさんを取り上げる。

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「サーフィン・U.S.A.」が大ヒットも「ブライアンさんは泳げなかった」

 アメリカのバンド「ビーチ・ボーイズ」の曲は誰もがどこかで耳にしているだろう。いわば夏の風物詩。「サーフィン・U.S.A.」などが世界で大ヒットした。

 ニッポン放送の元社長、亀渕昭信さんは思い返す。

「1960年代初め、アメリカはまだ遠い彼方でした。ビーチ・ボーイズの曲を聴き、陽光まぶしい西海岸の青い海、明るく開放的な雰囲気を思い浮かべました。心地よく絶妙なハーモニー、覚えやすいメロディー、自然と体が動き出すようなリズムで親しまれた。シンプルにして曲が練られていて今も古さを感じさせません」

 ブライアン・ウィルソンさんはビーチ・ボーイズの中心的メンバー。海、車、女の子を題材に、西海岸の若者文化を曲にしてヒットを連発する。だが、彼はそもそも泳げなかった。

 音楽評論家の増渕英紀さんは言う。

「音作りの魔術師です。ボーカル、ベースなどを担いますが、作曲や編曲そのものに楽しさや喜びを見いだしていた。ビーチ・ボーイズがビートルズと双璧を成す世界的グループと評価されたのは、ブライアンの果たした役割が大きいのです」

音楽と関係のない出来事に疲弊

 42年、カリフォルニア州生まれ。ビーチ・ボーイズは61年にブライアンさんの弟二人といとこ、高校の友人の総勢5人で結成。すぐスターになるが、ブライアンさんは64年末からツアーに参加せず、作曲に専念。

「繊細な天才で音楽自体と関係ない出来事に疲れてしまった。お金や世の中への影響力より音作りが最大の関心事でした」(増渕さん)

 ビートルズが65年に発表したアルバム「ラバー・ソウル」に音の新しさを感じ、対抗心を燃やす。66年のアルバム「ペット・サウンズ」は、内省的な曲調で電子楽器のテルミンを使ったり、犬の鳴き声を効果音に用いるなど音に凝った作品に。

「同作は今でこそ歴史的最高傑作といわれますが、これまでの明るい曲と別物でファンは戸惑う。ライバルのビートルズは意図を理解し驚いたものの、広く受け入れられなかった。早過ぎた名作でした」(増渕さん)

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