歯が11本無くなっていた 48歳の若さで他界した世界的歌姫の悲し過ぎる晩年
13年前の2月11日、「世界の歌姫」ともいえる歌手が48歳の若さでこの世を去った。
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ホイットニー・ヒューストン。ヒット曲は数多く、なかでも出演映画「ボディガード」の主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は全米シングルチャートで14週連続1位を獲得した大ヒット曲として有名だ。
ただし、亡くなるまでの10年ほどはスキャンダルも多く、安らかな死とはほど遠い最期だったと伝えられている。彼女を不幸にしたのは、結婚生活と薬物だ。
暴力、薬物依存、不審な死……その後半生を構成する要素は、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」など彼女が歌った世界からはかけ離れたもので占められている。
若くして大成功して頂点を極めたはずの彼女の身に一体何があったのか。海外のミュージシャンたちのエピソードを集めた『不道徳ロック講座』(神舘和典・著)をもとに見てみよう(以下、同書をもとに再構成しました。出典は本書中にあります)
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ホイットニー・ヒューストンの光と影
2012年に48歳でこの世を去ったホイットニー・ヒューストンは、ドラッグによる死と報道された。実際に彼女はドラッグ依存症で苦しみ、依存症回復施設に何度も入所していた。
しかし彼女の死は謎が多く、2018年公開の『ホイットニー~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』、2021年公開の『ホイットニー・ヒューストン~スポットライトの光と闇~』、2本のドキュメンタリーでは死因がドラッグだけではなかったという説を提示している。
ホイットニーは1963年にアメリカ、ニュージャージー州ニューアークで生まれた。母親はグラミー賞歌手のシシー・ヒューストン。「ウォーク・オン・バイ」や「愛のハーモニー」などの大ヒットで知られるレジェンド・シンガー、ディオンヌ・ワーウィックは従姉。
モデルとして、チャカ・カーンのバックコーラスのシンガーとして、10代から活動していたホイットニーが、アルバム『そよ風の贈りもの』でメジャーデビューしたのは1985年。シングルカットされた「すべてをあなたに(Saving All My Love for You)」から7曲連続で『ビルボード』誌ホット100で1位を獲得した。
1992年には、R&Bシンガーのボビー・ブラウンと結婚。ビッグ・スター同士の夫婦だった。この年、ホイットニーは映画『ボディガード』に出演。自身が歌った主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は全米で14週連続1位。アメリカで400万枚、日本でも180万枚のセールスを記録した。『ボディガード』のサウンドトラックは、世界で5000万枚、日本でも280万枚のセールスになった。
ところが、皮肉にもこの成功が夫婦間に溝をつくる。メディアはボビーを“ミスター・ヒューストン”と呼ぶようになり、“ヒモ”のように扱った。世間的に夫婦はイーヴンの関係ではなくなった。
ボビーは荒れた。妻に暴力をふるい、彼女のポルシェを破壊したなどと、アメリカのタブロイド紙が報道した。彼は浮気をして、外に子どもをつくり、スタッフに下半身を見せてセクシャルハラスメントで逮捕され、パトカーのなかで小便した。
夫婦で薬物に溺れる
夫婦は毎日コカインとマリファナに溺れる。ツアーの機内でハイになって着陸しても降りずにライヴが中止になることもあった。
誰も二人を制御できない。嫌われると職を失うからだ。スタッフには身内が多く、ホイットニーの仕事以外に食べていく術がなかった。
ドキュメンタリー『ホイットニー~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』によると、そもそもホイットニーは16歳のときからすでにドラッグをやっていた。ツアーでは、スタッフとして参加していた身内がドラッグを調達。1980年代の日本公演でも入手していたという。
映像のなかでレコード会社の社長は、ホイットニーがドラッグ依存症とは知らなかったと発言している。次の作品のために投資を惜しまず、ホイットニーは、高級ホテル、プライベートジェット、そしてドラッグにお金を使いまくった。
『オールウェイズ・ラヴ・ユー』では、マイケル・ジャクソンのトリビュート・コンサートに出演したときのやせ過ぎた身体についてインタビューを受けるシーンがある。残酷なインタビュアーは、ホイットニーがやせて骨が浮き出て見えることを指摘した。さらに理由を問い詰めていく。アルコール? マリファナ? ピル? コカイン?──見ているだけで苦しくなる場面だ。
執拗な追及に、ホイットニーは泣きそうな表情で、ドラッグの使用を打ち明けた。
「やったことある、たまに」
正直に告白してしまった。
そのなかで悪魔は───との問いに、ホイットニーはさらにつらそうな表情を見せる。
「悪魔は私ね」
瞳を潤ませ、一瞬笑みを見せて答えた。
「私は毎日祈ってるの。私は強くもないけど、弱くもない。折れないわ」
このインタビューをきっかけに、メディアはホイットニーのドラッグ依存を競うように報道し、アニメやコメディのネタにした。そのいくつかがドキュメンタリーに収められているが、ポップ史上最高のシンガーの一人に対するリスペクトのかけらもない、徹底的に笑い者にしたひどいものだ。
そして、ホイットニーはドラッグ依存症回復施設に入所する。
ドラッグによって体力が衰えても周囲はライヴやアルバム制作のスケジュールを詰め込んでいく。しかし、かつてのような圧倒的なパフォーマンスはできず、がらがらの声で歌い、客席からはブーイングが起きた。その状況が『オールウェイズ・ラヴ・ユー』に記録されている。
ホイットニーはさらにドラッグに救いを求め、健康を害し、また施設に入所する。負のスパイラルにはまってしまった。
リハビリ中の2006年、ボビー・ブラウンが彼女のもとを去る。
ホイットニーは愛娘、ボビー・クリスティーナ・ブラウンと暮らしながらドラッグとアルコールからの復帰プログラムを行う。この時期、ホイットニーはボビーとよりを戻したいと願っていたと『スポットライトの光と闇』では語られる。
しかしボビーの気持ちは彼女から離れていた。彼のマネージャーとの交際が報じられ、ホイットニーの神経はさらに病んでいく。
経済的にも困窮していくホイットニー。ドラッグの購入と回復のための治療代によって破産状態となり、アルバムをリリースする前提での前払い金は100万ドルだと報道されていた。
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