「ペット・サウンズ」は早過ぎた名作だった… 繊細で孤独な天才「ビーチ・ボーイズ」のブライアン・ウィルソンさんの変わらなかった信念

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「自分の世界にこもっている印象」

 この時期に取材した、音楽評論家の湯川れい子さんは振り返る。

「面と向かって話をしていても心ここにあらず、社交的ではなく自分の世界にこもっている印象でした。一人で音をずっといじるのが好きだと分かった。他のメンバーはブライアンから指示が出るまで待ち、手持ち無沙汰に見えました」

 次なるアルバム「スマイル」に着手するが、音に凝るあまり発想をまとめられない。60年代末から麻薬に依存、精神的に不安定に。火事をテーマにした曲では演奏者に消防士の帽子をかぶらせスタジオの中で火をたくなど奇行も伝えられた。

 精神科医の治療を受ける一方、ようやく時代がブライアンさんに追いつく。

「世界のミュージシャンが改めて注目。日本でも大瀧詠一、山下達郎ら多くが影響を受けた。コーラスの使い方や音の自由な発想にそれを感じます」(増渕さん)

「新曲を作り披露するのを70歳を過ぎても好んだ」

 本格的な回復を感じさせるようになったのは、90年代後半である。

 ラジオDJで音楽評論家の山本さゆりさんは言う。

「苦難は終わりませんでした。ブライアンが不調の間、ビーチ・ボーイズをまとめてきた一番下の弟のカールが98年に(51歳で)がんのため亡くなる。追悼に作った曲から人生を重荷に感じる様子が伝わってきました」

 だが、断念したと思われていたアルバム「スマイル」が35年以上の時を経て2004年に完成。99年以来、16年まで日本でしばしばソロ公演を行ってもいる。

「昔のヒット曲より新曲を作り披露するのを70歳を過ぎても好んだ」(山本さん)

 6月11日、82歳で逝去。

 95年に再婚した妻のおかげで人生に戻ってきたと感謝していた。その妻が昨年先立ち、ブライアンさんの認知症が進みつつあった。

週刊新潮 2025年6月26日号掲載

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