「有名な逸話」という表現は誤用か? 実は「広辞苑」と「三省堂国語辞典」で説明が大きく異なるケースも
姑息=ひきょう?
「逸話」のような例は、校閲の現場にいると他にもたくさん見かけます。代表的なものの一つが「姑息」です。「新明解国語辞典 第8版」の記述が分かりやすいので、そのまま引用します。
〈こそく【姑息】根本的に対策を講じるのではなく、一時的にその場を切り抜けることができればいいとする様子だ。〔俗に、「やり方が卑劣だ」の意にも用いられる。より口頭語的な表現では「その場しのぎ」とも〕「姑息な手段」〉
つまり、本来は「その場しのぎ」の意だが、俗用として「卑劣」、すなわち「卑怯」(ひきょう)の意でも用いられる、ということです。
現実を見渡せば、「姑息=ひきょう」の意味で使っている例のほうが圧倒的に多いです。「文化庁国語調査」でも何度かこの語を調査していますが、令和3年度の結果では「一時しのぎ」の意が正しいと思った人は17.4%、「ひきょう」の意は73.9%と、本来の意味と実際の使われ方が大きく逆転していました。
辞書によって、「俗用として認める」「本来は誤り」など表現は分かれていますが、ここまでくると、「姑息=ひきょう」で市民権を得ていると言っていいのではないか、と個人的には考えています。
校閲探偵は今日もゆく?
以上、今回は「逸話」と「姑息」という二つの言葉を取り上げましたが、両方とも「辞書上で本来の意味とされてきたもの」ではない使い方が浸透しており、特に「姑息」はすでに本来の意味がかなり薄れてきていることが分かりました。
校閲者としてはどうするか。私は、「有名な逸話」「姑息=ひきょう」のどちらのケースにも、基本的には指摘を入れないようにしています。「有名なエピソード」「有名な話」とするよりも「有名な逸話」としたほうが、文章としての味が出るという場面もあるのではないでしょうか(そもそも、一部の辞書には載っているわけですし)。
しかし、これまでに当連載で取り上げた「破天荒」や「圧巻」と同様、校閲者によって解釈は分かれるところかもしれませんし、指摘すること自体が間違っているわけではありません。
大切なことは、「決めつけ」だけは絶対にしてはいけない、ということなのです。
前にも書きましたが、こういった表現に手を入れようとすることは校閲業の本来の仕事「ではない」からこそ、他のことに時間と労力を割けるように、普段からさまざまな辞書を引いておいて、「この語のときはこうする」とある程度決めておくことがベターである、と私は考えています。
……校閲探偵は今日もゲラに真摯に取り組み、日本語表現の深層を追究します。調査してほしい事例がございましたら、当事務所までお気軽にご連絡ください。



