トランプ政権下にひびく「移民をバカにするな!」…文学座を救った名作舞台劇「調理場」が映画で復活 21世紀に公開される意義とは

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いつの世も支配者と被支配者は、おなじ

 トランプは、出馬第一声で、こう述べた――「メキシコからは、ドラッグ常習者、犯罪者、レイプ犯など、問題ある不法移民ばかりが入ってくる」、だからメキシコとの国境に、通称“Trump Wall”(トランプの壁)をつくると公約。さっそく初当選後、建築がはじまった(最初の在任中には完成せず、現在、再開中)。さらに再任後は、警備兵の派遣数を増やし、事実上、国境封鎖のような状態になっている。

 そんな時期に製作・公開されたせいか、ルイスパラシオス監督は、こう語っている――〈ペドロとジュリアのかなわぬ恋は、滅茶苦茶なロマンティックコメディーのようだ。(略)ある意味このふたりはメキシコと米国の関係を反映している。切り離せない関係でありながら、永遠に一緒になれない関係。かつてメキシコの文人・法律家のフスト・シエラは『哀れなメキシコ……。神からは遥か遠く、米国には限りなく近い』と言った。〉(プログラムより)

 原作戯曲のクライマックスでは、大混乱に陥った厨房内で、ドイツ移民のペーターが、同僚のウェイトレスから「何よ、まぬけ、野蛮人のドイツっぽ!」とからかわれ、ついにブチ切れる。「今、何て言った、お前? 何だって? もう一度言ってみろ。言ってみろ、もう一度!」。そして、いままで溜まっていたモノが爆発し、半狂乱となって、ガス管を破るのだ。

 映画では、メキシコ移民のペドロが、やはりブチ切れて「メキシコ移民をバカにするな!」と大絶叫する。ここからの半狂乱ぶりは、舞台では絶対にできない、映画ならではの“スペクタクル”として展開する。ここまでくると、メキシコどころか、ウクライナやガザ地区の叫びのようにさえも、感じられる。いかにも現代的なアレンジで、この映画の見どころでもある。

「ところが、そのあと、混乱の場にやってきて呆然となった経営者がいうセリフは、65年前の原作戯曲のままなのです。ほかは変えても、なぜか監督は、このセリフだけは変えませんでした」(演劇ジャーナリスト氏)

 経営者は、こういう――「お前は俺の世界をめちゃめちゃにしてくれた。神様にでも許しを受けたのか?(略)なぜ誰もかれも俺に向ってサボタージュするんだ、フランク? 俺は仕事を与えている。ちゃんと給料を払っている。そうだろう?」

 ……これに対し、従業員たちが、どういう表情をするか、お見逃しなく。時代や国は変わっても、支配者と被支配者の関係だけは、いつの世もおなじだということか。

(取材・資料協力=文学座)

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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