「まさかのデビュー」から歌手生活24年目に突入! “踊らされちゃう歌謡曲”で火がついた竹島宏が愛され続ける、納得の理由

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 近年、西城秀樹をリスペクトする新浜レオン、吉幾三プロデュース作品をしゃがれ声で歌う真田ナオキ、爽やかな笑顔で女性ファンも多い辰巳ゆうとなど、従来の演歌というよりも歌謡曲を歌う男性ソロ歌手が盛り上がっている。

 その先駆けとなったのは、細身の長身で哀愁路線の歌謡曲を切なく歌い、6作連続でオリコンシングルTOP10入りを継続している竹島宏ではないだろうか。2017年にシングル「月枕」を発売した頃から、“NHK紅白歌合戦”の初出場が期待されてきた竹島。デビューしたのは2002年で、今年で24年目とは、意外にもキャリアが長い。

 そこで、彼のこれまでの音楽人生をひも解くために、ストリーミングサービス「Spotify」における人気曲を、本人とともに考察していく。まずは、知らない読者も多いと思われるので、彼が歌手になったきっかけから尋ねてみた。

電話番から始まり、“流れに身を任せたら、いつの間にかデビューしていた”

「子どもの頃は、テレビドラマの影響で“人の命を救う仕事って素晴らしい”と感じ、お医者さんになりたかったんです。でも中学3年生の時に、人と違う仕事がしたいと考えるようになって。そこで、小学5年生の頃にひいおばあちゃんと行った坂本冬美さんのコンサートがとても素敵だったことを思い出し、“演歌歌手なら周りに誰もいないぞ”と思い始めました。それが歌手を目指した原点です。

 僕は、初めて買ったCDが『おどるポンポコリン』(B.B.クイーンズ)で、その次が徳永英明さんの『LOVE IS ALL』、そして山本譲二さんの『奥入瀬(おいらせ)』。その後、TUBEさんや坂本冬美さん……と、10代の頃からいろんな曲を聴いていますね」

 それにしても、竹島のデビューまでの経緯はとても面白い。他の歌手は、ライブハウスで場数を踏んだり、幼少期から“のど自慢荒らし”として入賞しまくって評判になったりするパターンが多い中で、彼の場合は、ただゆるやかに時流に乗ってデビューを果たしているのだ。

「歌手になるなら、まずは上京したいと思い、東京の大学に行かせてもらって、クラスの自己紹介の時にも“演歌歌手志望です”って言っていました。でも、大学時代は社会学の研究サークルに入るなど普通の生活をしていて、みんなが就職活動を始めた時、ようやく自分も探さなきゃと、千葉テレビのカラオケ番組に応募したんです。そこで知り合った方から別のカラオケ審査会に誘われ、そこで作詞家の久仁京介先生に出会いました。その後、久仁先生を通じて事務所の社長にご挨拶させて頂き、その時にいただいた名刺の住所を頼りにアポなしで今の事務所を訪ねました。“もう大学に行く時間も少ないので、アルバイトできませんか?”と頼み込んだら、電話番で雇ってもらえて。そうこうするうちに、その事務所で新たに歌番組を制作するにあたって司会が女性ならアシスタントは男性がいいだろうということで、僕が出ることになったんです。番組内に懐メロのリクエストのコーナーがあったので、そこでレッスンを受けては歌わせていただくという日々を過ごしていました。

 そうしたら、全国の土産店にロケに行き、“お礼に1曲歌うので、視聴者プレゼントをいただけませんか”といった企画ができて。さらに、ロケのコーナーにふさわしいお土産の歌を作ろうということになり、“折角だからアシスタントに歌わせよう”という流れで、僕が『いいもんだ いいもんだ』という曲で’02年にデビューすることになったんですよ」

 まるで「すごろく」のように点と点がつながり、夢にたどり着いた竹島。やはり、彼の人柄の良さが運命を引き寄せたのだろうか。それにしても、『いいもんだ いいもんだ』は、北海道、東北、越後、名古屋、土佐、鹿児島と全国の土産を並べた音頭調の明るい楽曲で、今の哀愁漂う路線とは全く異なっている。

「僕はデビューさせてもらえたのがただ嬉しくて、ラッキーとしか思っていませんでした。その頃はプロモーション活動もほとんどなくて、レコード店の挨拶回りは次のシングル『函館哀愁』からですね」

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