「受験をした。しかし、東大には落ちた。しかし、京大には受かった」…校閲者は「しかし」の重複をどう考えるか

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 皆さんこんにちは。新潮社校閲部の甲谷です。

 今回もクイズからいきましょう。

 下の画像は、夏目漱石「吾輩は猫である」の冒頭をすべてカタカナで表記したものです。

 この中から間違いを15個、見つけてください(15個全部見つけたらかなりスゴイです)。

 原文を細かく覚えていなくても解けます。ポイントは、カタカナの「形」に注意することです。なお、表記は現代仮名づかい(現在、一般的に使われる表記)に従います。

 制限時間は2分です。スマホの画面でも良いですが、できればプリントアウトで挑戦してみてください。

 では、どうぞ!

校閲疑問は多い方が良い? 少ない方が良い?

 何回か日本語の話が続いたので、今日は少し“校閲哲学”的な話をしたいと思います。

 ズバリ、「校閲疑問は多いほうが良いか、少ないほうが良いか」という話です。

 たとえば、この連載を読んでくださっているあなたが、今までのご自身の人生について綴った自伝を出版することになったとします。その際、担当に就いた校閲者は、あなたに大量の疑問(直しの提案)を出したほうが良いのでしょうか? それとも、校閲者は最低限の指摘にとどめ、あまり疑問を出すべきではないのでしょうか?

 先にお断りしておくと、今からするお話は「単純な誤字脱字や事実誤認」についての話ではありません。明らかな誤植は、抜かりなく校閲疑問を出さなければなりません。大リーグの「大谷奨平選手」ではダメで、必ず「大谷翔平選手」でなければならないのです。

 ここで問うのは、たとえば「日本語としての読みやすさ」や「誤読される可能性を減らすための表現変更」、「微妙な事実関係」、また「表記や語句の整理」といった要素に関する話なのです。

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