「軍が銃撃した」との一報に駆け付けると、黒焦げになった兵士の遺体が…「天安門事件」36年 現場で取材した日本人記者の証言

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タクシーを取り囲まれる

 その後、宿舎に戻り、助手として雇っていた日本人留学生と合流。チャーターしていたタクシーで再び市内を回っていたところ、北京飯店前で群衆と遭遇し、タクシーが取り巻かれて、身動きがとれなくなってしまった。車の窓は前から後ろまで人の顔で埋まっていた。

「車に乗っているのはだれだ」と中年の男性が質問する。「日本の新聞記者だ」と答えると、「本当か? 証明書を見せろ」と言われた。党や政府の幹部ではないかと疑っているようだ。彼らも極度に興奮しているようだ。目が血走っているように見えた。

 私がパスポートを取り出そうとする間もなく、同乗していた助手の留学生が「うるさい、馬鹿野郎、早く通せ」と日本語で怒鳴りまくっていた。彼も気が立っていたのだろうが、外の一団も「ここは中国だ。中国語で話せ」と怒鳴り返す。と、すぐに車を取り囲んでいた市民らが車を上下に揺すってきた。このままだと、車をひっくり返されると思い、咄嗟に「対不起(トェブチー:ごめんなさい)、対不起」と両手を合わせて必死に謝る。2、3分間経ってようやく車を揺するのが止まった。(軍よりも市民の方が過激かもしれない)と思った一瞬だった。

焼け焦げたバス

 その後、ホテルに帰るともう夜だった。床に入り、休憩していると6月3日午後11時ごろ、「軍が市内に進入し、市民らと衝突し、銃撃で多数の市民が負傷しているらしい」との電話が本社外信部から入った。すぐに飛び起きて、ホテル前からタクシーで天安門広場に向かうが、すでに沿線道路は封鎖されている。車を降りて、市内の裏通りの路地を伝って、2時間以上も歩いて、天安門広場近くの民族飯店(ホテル)までたどり着いた。が、ホテルの窓という窓はほとんど割られ、路上にはレンガのかけらが散乱していた。道路には焼け焦げたバスや戦車の残骸が横たわっていた。

 さらに、黒い煙が上がっているところに、市民が円形に取り巻いている。なんだろうと覗いてみると、黒焦げになって焼けただれた兵士の死体があった。

【後編】では、筆者が目撃した、軍と市民の血みどろの衝突について詳細を記している。

相馬勝(そうま・まさる)
1956年生まれ。東京外国語大学中国語科卒。産経新聞社に入社後は主に外信部で中国報道に携わり、香港支局長も務めた。2010年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『習近平の「反日」作戦』『中国共産党に消された人々』(第8回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞)など。

デイリー新潮編集部

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