堀江淳の大ヒット曲が「水割りをください」から始まる理由…すすきので始めたパブのアルバイトから生まれた名曲をめぐる知られざるエピソードとは
「水割りをください」という印象的な歌い出しから始まる昭和の名曲「メモリーグラス」(1981年)。このデビュー作で大ヒットを飛ばしたのが、シンガーソングライターの堀江淳(64)である。「水割りをください」の歌詞は、自身がパブでバイトしていた頃、止まり木に縋る女性客の口から何千回と聞いてきたフレーズだった。
(全2回の第1回)
***
【写真】中学2年生にして「オリジナル曲」を作り始めた…写真で振り返る堀江淳の若き日
映画でグループサウンズの洗礼を受け、小学校時から邦楽・洋楽にのめり込む
堀江の父は、北海道苫小牧市の映画館の支配人だった。幼少期の頃から時間があれば映画館で過ごす時間が長かった堀江。映画の内容はまだ分からなかったがサウンドトラックやテーマ曲など、音楽が身近にある環境で育った。
「小さい頃から映画音楽を聞いてきたのは、他の人とは違うところかもしれないなあ。それに、当時はテレビで歌謡曲やグループサウンズ(GS)が全盛期で。当時はザ・タイガースやザ・スパイダースといったGSが主役の映画もあったからね。洋画も観ていて、アラン・ドロンの『冒険者たち』なんかは今でも曲を覚えている。ザ・ビートルズも僕の場合は映画で聞いてたなあ」
意識して覚えるというより、自然とそうした音楽が心身に刻まれていったというわけだ。小学生になると、十数枚にのぼる映画サウンドトラック全集のLPレコードを父が買ってきてくれた。それらを繰り返し、どの曲が好きというのでもなく、ただまんべんなく聴いていたという。
「それで結果的に、ジャンルの視野を狭めずに済んだんだろうね。初めて自分のお小遣いで買ったレコードは、ザ・タイガースの『青い鳥』。洋楽だと、映画『卒業』で使われたサイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』だね」
“まんべんなく”の中にあって、なんとなく音楽の好みが分かるチョイスだ。中学に上がる頃にはGSブームは去り、今度はフォークソングブームが到来。中1の誕生日、次に父が買い与えてくれたのはフォークギターだった。
人の曲をやっててもしょうがない 文通相手の詞に曲をつけてデモテープ作り
フォークギターを手に初めて弾いたのはかぐや姫の「神田川」。他にもグレープの「精霊流し」など、フォークブームを象徴する曲を弾いていた。井上陽水の金字塔的アルバム「氷の世界」にもハマった。洋楽ではサイモン&ガーファンクルやビートルズに加え、クイーンなども好んで聴き、ギターを片手に各曲のコード進行を身体に刻み込んでいった。そうしいているうちに今度は、「オリジナル曲を作りたい」という渇望が疼き始めた。
「中2の時でした。これはもう人の曲をやっててもしょうがないな、と。作曲はいくらでもできたんですよ。いいか悪いかは別にしてね(苦笑)。ただね、歌詞が困るわけです。メロディはすぐできるんだけどね」
当時、学習雑誌の「中二時代」(旺文社)や「中学二年コース」(学研)を読んでおり、文通コーナーを介して、長野県と石川県の同級生女子と知り合った。石川県の同級生女子が、よくその文通に詩を書いて送ってきていたという。
「送ってきてくれた歌詞に、メロディを重ねてみたんです。僕が『書いて』とお願いしたこともあるし、そこに曲をつけていることも告げていました。相手も詩を書くのが趣味だったみたいだったから。その詩につけるメロディを授業中に考えてて、そのうちそれが曲になって。それが10曲集まったときに、ベースを弾ける友達に自宅に来てもらって、デモテープを作った。まだ中学生なのにね(笑)」
スポーツへの関心はあまりなかったが、音楽に傾ける情熱は途切れることがなかった。高校へ進学して熱中したのが「コンテスト」の世界だった。
[1/2ページ]