澤田知可子「会いたい」誕生秘話 有線放送で火がつき急きょシングル化、大ヒットも「苦しみがすぐに来た」
「会いたい」が独り歩き
「会いたい」はオリコンの週刊チャートに足かけ3年にわたりランクイン。だがその存在の大きさゆえに、澤田にとって大きな壁となって立ちはだかった。
「次のアルバム、その次と出しても、やはり『会いたい』の存在が大きくて。やっと澤田知可子を知ってもらえたのに、苦しみがすぐ来た。嬉しさをかみしめる間もありませんでした」
2014年には、作詞者の沢ちひろとの間で歌詞をめぐるトラブルが起きた。沢は小学生の頃に亡くなった母親を思って詞を書いたが、澤田がまるで自身の体験であるかのように話していたことや、バラエティ番組での替え歌などに対し、訴訟を起こしたのだ(後に和解)。
「『会いたい』を超えたいという思いが、新しいヒット曲を出したいという目標を持つ中で、私自身をどこかずらしてしまっていたのかもしれません」
それでも「会いたい」に対する世間の支持は根強く、2001年に実施された「21世紀の残したい泣ける名曲」調査では第1位に選ばれた。
歌をセラピーに
2004年10月に発生した中越地震。発生2カ月後に新潟県長岡市で開かれた復興チャリティコンサートに出演した。ステージに立ち、「会いたい」のイントロが始まると、それまで降っていた小雨が急に雹へと変わり、イントロの音をかき消した。
「ちょうど、『会いたい』の壁を超えられずに自暴自棄になっていた時期でした。雹が降った瞬間、時が止まったような感覚になって、『会いたい』が明日への不安を鎮める鎮魂歌に変わったと、はっきり実感したんです。自分も明確に変わったんです。私の役目が降りてきた。『これからは歌をセラピーとして届けていこう』って」
どんな曲が心に響くのか、どうすれば癒しにつながるのかなど勉強を重ね、以降は「歌セラピーコンサート」と銘打って活動を展開。歌を聴いて涙を流すことの大切さを伝えつつ、「気持ちよく泣いてもらえるようなライブ」を続けている。
「元気がないときには、悲しい曲を聴いた方が薬になるんです。東日本大震災の時もそうでしたが、つらい体験をした人には、いきなり励ます歌ではなく、つらい体験を共有することが大事。涙を流して、そこで気持ちを発散してからこそ、スッキリしてから新たな一歩を踏み出せるんです」
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