逮捕後に「結婚申し込み」「1万通のファンレター」が…90年目の「阿部定」事件 “伝説の妖婦”の素顔
一番かわいい大事なもの
しかし、早くも午後には事件が発覚。翌々日の新聞各紙には、センセーショナルな見出しが踊った。
『妖艶・夜会髷の年増美人 四十男を殺して消ゆ 変態! 急所を切り取り敷布と脚に 謎の血文字「定吉二人キリ」』(読売新聞)
『待合のグロ犯罪 情痴の主人殺し』(東京日日新聞)
記事に添えられた定の顔写真に、世間の人々は釘付けとなった。夜会巻きの瓜実顔にキリリと柳眉の、まさに絵に描いたような艶っぽい「妖婦」がそこにいた。
しかし、定の逃亡劇はわずか2日で終わり、品川駅前の旅館にいるところを逮捕される。配布された顔写真入りの号外を、人々は映画女優のブロマイドに群がるように奪い合った。
「一番かわいい大事なものだから、そのままにしておけば湯灌のとき、お内儀さんが触るに違いないから、だれにも触らせたくないのと、石田のオチンチンがあれば、一緒のような気がして淋しくないと思ったからです」
やがて行われた予審尋問で、判事から吉蔵の局部などを持ち去った理由を尋ねられた定は、こう答えた。
あまりに直截にして純な心情の告白は、またも世の男たちの心を鷲掴みにした。
お定ファン
裁判の傍聴には大勢の“お定ファン”が駆けつけ、プレミアム傍聴券と話題に。そして定には、殺人ならびに死体損壊罪で懲役6年の刑が下り、栃木刑務所に収監される。
阿部定事件が号外を出すほどに盛り上がった背景には、同じ年に起きた二・二六事件に象徴されるように、きな臭さを増していく国内情勢のなかで、お国の事情にはおかまいなしに情欲に殉じた定と吉蔵に対して庶民が積もる鬱憤を晴らしていたとか、逆に軍が大衆のガス抜きをねらって情報を流していたとの説が根強くある。
【後編】では、出所後の阿部定の生活、そして消息不明になった“その後”を記している。
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