「私がいなくなったら、警察に『オウムの仕業』と言って」 最後まで妹を守り亡くなった假谷清志さん監禁致死事件 記者が語る捜査機関の“負の連鎖”

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厳しい寒さと濃霧の中……

 翌16日午前5時25分、機動隊員、捜査員約2000人が動員されて教団施設への一斉捜索が始まる。私がいた第6サティアン裏の検問所は、麻原が逮捕、連行されたら最初に通過するポイントだった。上空には警視庁や報道機関のヘリコプターが1機、また1機と増えて旋回。耳をつんざくような轟音をがなり立てている。報道特番の全国放送も始まりいやが上にも緊張感が高まっていた。手書きの取材メモには、特番で生中継したリポートの原稿も書かれていた。

「現在こちらの検問所の前の道路は規制が敷かれています。われわれ報道陣も駐車できなくなっています。機動隊や捜査員の車両が十数台止まり麻原容疑者の逮捕、連行に備えています。こちらを通過しますと国道139号、そして中央道へと続く道となっています。現在こちらは濃い霧に包まれていまして視界は10メートル先も見えない状態です」

 前日から降り続いていた雨はいったんやんだが、周囲は濃霧に覆われていた。

「これじゃ麻原を乗せた車が来ても何も見えず、話す材料がないな……」

 と心配したのを覚えている。しかし捜索が始まっても一向に麻原逮捕の連絡はない。厳しい寒さと濃い霧の中、その時をひたすら待つしかなかった。

「何か神懸かっているな」

「ひょっとしたら麻原は第6サティアンにいないのでは? いや上九にもいないのでは?」

 そんな疑問も湧いてくる時間だった。捜索開始から4時間余りたった同日午前9時45分。中2階にベニヤ板などで作った急ごしらえの隠し部屋に麻原がいたところを捜査員が発見し、逮捕状が執行される。麻原は紫の作務衣姿で頭にはヘッドギアを着け、汗だくの状態で捜査員に手錠をかけられるとぶるぶると震えた。傍らには現金900万円余りとスナック菓子があった。捜査員数人に抱えられ下ろされる際には「重くてすいません」と謝ったという。

 そして麻原を乗せた黒いワンボックスが第6サティアンの正面から発車した頃、急に霧が晴れた。正に雲散霧消だ、などと感じたのを覚えている。ワンボックスが小高い丘からこちらにゆっくりと降りてくるのをはっきりと見ることができた。表現が適切ではないかもしれないが「何か神懸かっているな」と、記者としてまだ経験が浅かった私は思ってしまった。

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