東出昌大は「三島を読んでいなければ今の自分はなかった」 三島由紀夫生誕100年…著名人たちが語り尽くす魅力とオススメ作品
まとわりつくような「あの文体」
――次にお話を聞いたのは、國學院大學文学部日本文学科特任教授の上野誠氏。
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もう十年も前のことになるが、大阪で『近代能楽集』の舞台を見た。主演は美輪明宏。オムニバスの一つ一つは、中世の謡曲を踏まえているのだが、それがじつになまめかしい現代語に置き換わっていて、不思議な言語空間を作っていた。不思議だと言ったのは、まとわりつくようなあの文体だ。
三島という人は、近代日本語の陰気なところ、短所をもよく知っている人だと思った。クセやアクの強い食材、そのいやな部分を生かす調理法を知っている人なのだろう。三島は、日本語の負の部分――たとえばクダクダと続くところなどを――そのアクを使って珠玉の作品にするのだ。アクを抜くのではない。
晴々としない読後感
一昨年、日生劇場で『午後の曳航』のオペラを見た。母親の秘め事をのぞく少年の心理。英雄視から反転する義父への蔑視。蔑視の先にある義父への暴力が、宮本亞門演出で見事に表現されていた。
舞台を見て、文庫で読み、“ふむふむ”という程度の読者なのだが、なぜか、いつも晴々としない読後感が残る。私は学徒なので、AとBを直線的に結ぶ明快な文体を好む。折口信夫や三島由紀夫のようなクネクネとした文体は好まない。一方、直線的になったら、三島でなくなるような気もする。
今、日本語のクセやアクを生かすことのできる作家は、いないのではないか――。
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