2026年度末で「手形」と「小切手」が廃止の衝撃…680億円の巨額“絵画取引”のウラで手形と小切手が飛び交った「イトマン事件」を振り返る
手形不渡りで強制捜査
手形の動きが《全く不思議》という関係者の勘は当たっていた。巨額の絵画取引に使われた手形が不渡りとなり、大阪地検特捜部が強制捜査に踏み切るきっかけになったのだ。
週刊新潮は1991年4月25日号のMONEY欄で「『疑惑の絵画』不渡り騒動でイトマン事件の『終着駅』」とのタイトルで詳細を報じた。
ここで細かな話で恐縮なのだが、伊藤萬は1991年1月にイトマンに商号を変更した。そのため、これからはイトマンと表記する。
週刊新潮は《絵画に不動産にゴルフ会員権と、およそバブルそのものに巨額の疑惑融資ばかりしてきた》と、まずはイトマンの乱脈経営がどれほど悪質だったか指摘した。
記事は絵画の巨額取引を巡り、事件の中心人物が絵の購入代金をイトマンに返済する必要があると説明。分割での返済が決まり、中心人物とイトマンは覚書を交わした。
だが、その金額には驚かされる。4月10日に1回目として100億円を支払い、その後は4月20日、8月、9月の3回に100億円ずつ支払う。最後は12月に金利を含めて225億円を払う──。
こんな返済が本当に可能なのかと疑う人も多いだろう。
案の定、1回目の100億円さえ返済されることはなかった。事件の中心人物と関西新聞社など関係会社3社が保証した関西新聞の手形が不渡りになったからだ。
50億円の小切手
大阪地検特捜部が動いたことで、「イトマンの不正取引」は刑事事件となった。新聞各紙が特捜部の動きを追う中、読売新聞は大阪版に記事を掲載し、不渡りが確定した瞬間、“現場”で何が起きたのかを伝えた。
これがなかなか興味深い。そして、この記事では「小切手」が登場する(註1)。読売新聞の記事から該当部分を引用させていただこう。
《大阪市北区の関西新聞本社。同新聞振り出しの百億円の手形の決済資金が銀行の窓口が閉まる午後三時になっても、口座に入金されず、詰めかけた報道陣に、専務と営業局長(引用註:記事ではいずれも実名)は、あっさりと手形が不渡りになった事実を認め、準備していたワープロ打ちの声明文を淡々と読み上げた》
《決済前日の九日午後、弁護士が五十億円の保証小切手をイトマンに持参、一回目の返済金百億円のうち残り五十億円の支払いの猶予か代物弁済を要請。深夜までやりとりが続いたが、イトマン側に拒否され、この日朝から金策に走っていた。最近まで「二百億円程度は調達のメドがついた」と周囲に報告していたが、資産の株や不動産の売却が予定通りに進まなかったという》
昭和生まれなら、手形や小切手を巡る大騒動を体験した方もいるに違いない。だが、こんなことが起きることは、もう二度となさそうだ。
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