コメ最高値更新のウラで財務省が密かに進める「農政改悪」 専門家が警鐘「もし不作が起きたら…」「海外からの輸入にも頼れない」
もし不作が起これば……
昨年の米不足がいまだに尾を引いているというのに、財務省は、保管経費や売買差損により〈財政負担が発生している〉(「建議」)として米の備蓄を減らしたいようだ。ただ、基本計画に備蓄を減らすとは記されていない。国産小麦と大豆の備蓄量は記しているが、米の欄は空白になっている。さすがに米価が高騰しているこの時期に、国民感情を逆なでするようなことは書けなかったのかもしれない。
「現在の公的備蓄量は、10年に1度の不作でも耐えられるようにと100万トンになっています。それ以前は150万トンでした。昨年来の米不足は、日本で戦争が起こったわけでも、大凶作でもなかったのに起こったのです。かなり深刻だと思います。それでも財務省は減らしたいのでしょうね」(田代氏)
93年の「平成の大凶作」規模の不作が再び起これば100万トンでも足りないだろう。予算に余裕がないとはいえ、もしも備蓄量を減らして不測の事態が起こったら、国はどうするつもりなのか。そんなことを考えていると、田代氏は意外なことを言った。
「今の農政では、食料の安定供給が困難になる初期の前段階で使うのが備蓄であって、食料が手に入らない事態になれば、食料供給困難事態対策法が適用されます。この法律には備蓄のことは書かれていません」
「非常時になったら花農家にイモや米を作らせるのか」などと誤解されたあの法律が活躍するということだ。そのとき、政府は民間に対して、生産から出荷、販売、輸入などについて要請し、その計画の提出を指示。届け出なければ罰則を与えるとしている。とはいえ、生産を要請しても、肝心の農地がなければどうにもならないではないか。
責任を取らない政治家、官僚
食料政策を検証すればするほど、この国の目指す食料安全保障の姿がかすんでくる。どんな未来を描いているのか見えてこないのだ。ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、基本法の改正も行ったのになぜなのか。
基本計画に〈需要に応じた生産を推進し、主食である米の需給と価格の安定を図る〉とある。「需要に応じた生産」とは、米価調整のために需要量の減少に合わせて生産量を調整するという意味である。一見してもっともらしく読めるが、これほどの勘違いはないだろう。
米作りは苗を植えてから稲刈りまで4カ月以上はかかる。その間に気象条件などの不確定要素があるため予想通りの収穫量になるとは限らない。それに需要も田植えの時期と収穫時期で違うから計算通りにはならない。これが自然を相手にする農業の特殊性である。「需要に応じた生産」は工業生産の発想であって、自然相手の農業には当てはまらないのだ。そもそも米作りを工業生産と同じだと勘違いしているから、こんな無茶な農業政策を平気で描くのだろう。
これが国の政策として始動すれば、日本の「食」事情は確実に変わる。だからといって法律を作った政治家や官僚が、責任を取るわけではない。結果を背負うのは私たちだ。それなのに、私たちの「食」の未来が漠として見えてこない。
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