「森昌子」が“お姉ちゃま”と慕った「歌謡界の女王」 葬儀の場で耳にした“最後の言葉”は「マチャコ、頑張るのよ!」
コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第11回は「花の中三トリオ」として活躍した歌手の森昌子さんの知られざるエピソードです。
【写真で見る】森昌子が「お姉ちゃま」と呼んで歌のレッスンを受けていた歌謡界の女王
限界に挑戦?
「森昌子!走る」
連載につけたタイトルがこれだった。
1986年に引退し、2001年に歌手復帰した森昌子(66)にインタビューしたのは、2017年の年明けだった。その3年後には芸能活動にピリオドを打つことになるのだが、当時のスケジュールはものすごかった。とにかくビッシリなのである。
数カ月続くコンサートツアーのPRを兼ね、連載は月~金曜日の1カ月、合計20回。各週にコンサート情報を掲載したのだが、この間だけでその数、13本。前後の移動を含めれば、1カ月をほぼコンサートに費やしていたことになる。年齢を考えれば、限界に挑戦といえるスケジュールだったのではないか。
72年7月に「せんせい」でデビューし、山口百恵(66)、桜田淳子(67)と「花の中三トリオ」としてつねに一緒に行動した当時を振り返り、「高校卒業までは忙しすぎて、青春時代の記憶がほとんどない」と語ったが、この17年から19年にかけても、彼女は目が回るような日々を過ごしていた。まさに「走る」だった。
一世を風靡した「中三トリオ」だが、百恵は引退、淳子は合同結婚式に参加した統一教会騒動以来、表立った活動をしていない。インタビューできるのは昌子一人とはいえ、歌謡・演歌界の超大物だけに、「中三トリオ」の話を聞く万に一つのチャンスだったかもしれない。
連載では歌手として、母親としての貴重なエピソードが次々に明かされ、実に盛りだくさんだった。
歌手としては、美空ひばりに特に目をかけてもらったという。
森はひばりのことを「お姉ちゃま」、ひばりは「マチャコ」と呼んでいたのは知られるところだが、ひばりの誕生パーティーに呼ばれ、集まった人に紹介してもらったのが二人の関係の始まりだった。
中三トリオの頃には、ひばりの自宅でマンツーマンのレッスンを受けたこともあった。「ここでブレス!」「コブシを入れて」とひばりが指導する。それが5、6時間に及ぶこともあった。昌子は、当時をこう語った。
「ただ、当時は学校もあったので、眠くなってウトウトしてしまったことも……まだまだ子供だった」
女王の前でもまだまだ無邪気だったのだ。
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