「足を使って取材しろ」「当事者でもない奴が記事を書くな」「偏向報道だ」…“フリー記者”はSNS上の“批判”をどう受け止めているのか
SNSで取材するメディアへのバッシング
もう1つ、メディアに対してSNS上で聞こえてくるのは「足で取材しろ(自分で取材しろ)」なる批判だ。実際、現在のネットニュースなどには「コタツ記事」が非常に多い。
コタツ記事とは、その名の通りコタツの中に入っていても書けるような記事のこと。つまり、現場に足を運び取材しなくても書ける、引用を中心にした記事のことを指す。
このコタツ記事に憤りを感じているのは、読者だけではない。SNSでの発言を勝手に引用される人たちの間でも不満の声が上がる。筆者自身、勝手に自身の言動を何の確認もなくネットニュースにされることがあるが、かなりの頻度で間違った情報が混ざっていることがある。
そのため、ジャーナリストは原則「自らの力で取材するべき」と思うのだが、その一方、こうした「足を使わないコタツ記事」が世間からも批判されるようになったことで、一部の読者からは「全ての取材は足でするべき」、という見当違いな考えが見られるようになった。
SNSを見ていると、大手メディアの公式アカウントが、有事に居合わせた人の投稿に「突然すみません、テレビ局の者ですが、お話を聞かせてもらえないでしょうか」などとコメントを残すことがある。それに対してよく見られるのが、「自分の足で情報取りに行け」、「人任せにするな」という批判コメントだ。
しかし、SNSなどを使って現地の人に話を聞くことは正当な取材活動である。むしろSNSを調べたり分析したりすることによって、足では気付くことのできないような情報に触れることは多い。
もちろん、直接現場に行って自身の目で確かめる必要はあるが、例えば自然災害があった際、すぐに被災地に入れない時に現場で撮られた動画や画像を借りてテレビや新聞で報じれば、より多くの人に現場の現状をいち早く伝えることができる。
これに「使用料を払え」という人がいるが、取材・報道にあたっては中立性・客観性の担保から、金銭の授受はしないことが原則と考える。
「経験したことないくせに」
また、筆者のように労働問題などの記事を書いていると、「経験したこともないくせに偉そうに記事を書くな」と批判してくる人もいる。
もちろん、その経験者が自分の業界の事情を多角的に汲んだ記事を大衆に分かりやすく書けるならばそれに越したことはない。伝聞になれば情報に齟齬が生じる可能性はあるし、感情も情景も伝わりにくくなることは間違いない。
しかし、1人が何かを語ると必ず「主観」が入る。真実性というのは、現場の経験者の話を“複数”聞き、客観的かつ冷静に物事を捉えることで初めて確立される。それを紡ぎ出すのがジャーナリストの仕事なのだ。
何より、もし「当事者以外は記事を書くな」がまかり通るならば、それは歴史を報じる記事が消失することになったり、交通事故や殺人事件に巻き込まれたりした当事者しか記事が書けないことになる。
一番知っているのは当事者でも、それを最も正しく世に伝えられるのは当事者ではないことがあることも知っておく必要がある。
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