ばったり会った漫画家「水木しげる」がいきなりの一言 元アシスタント「つげ義春」が驚愕した最後の会話

エンタメ

  • ブックマーク

道端でいきなり「つまんないでしょ?」

 65年から約5年間、水木プロダクションのスタッフだったという、漫画家のつげ義春氏が明かす。

「僕は人物も担当していたので、いまでもねずみ男なんてすぐに描けます。お手伝いを止めてからは、水木さんとはほとんど交流はなかったのですが、数年前、道端でばったり顔を合わせました。すると、いきなり“つまんないでしょ?”と声をかけられた。“ええ、つまんないですね”と返すと、“やっぱり”と納得された様子でした。あそこまで成功を収めた人でも人生が面白くないのかと思ったことが、強く印象に残っています」

 それが、最後に交わした会話だという。

 同じく、漫画家の池上遼一氏は、

「22歳から約1年半、つげさんらとアシスタントをしていました。先生の作品は諧謔精神に富んでいますが、先生自身、とてもユーモアに満ちた方でした。私のハスキーな声を、“空気の抜けたカステラみたいな声”だと表現したり、ペコペコ頭を下げてばかりの編集者は“コメつきバッタ”と呼んで喜んだり……。そんなことを思い出します」

どんなに忙しくても10時間は寝る

 さらに、意外な人物も働いていたことがあった。

「70年から5年間くらい、シナリオスタッフを務めていた。漫画のテーマを探す仕事です。1本あたり5000円で、月に2~3本出していました」

 と語るのは、評論家の呉智英氏である。

「あるとき、水木さんから“10年前に手伝ってもらった本の増刷がかかったから、50万円を振り込みたい”という電話があった。普通、律儀にそんなことを言う人はいません。水木さんはお金が大好き。まわりの人も同じに違いないから、ポンポンとお金を与える、という発想なのです。睡眠欲にも忠実で、どんなに忙しくても10時間は寝ると言っていた。また、健啖家で、年を重ねても、脂っこいものを控えるという考えはありませんでした」

 没するもなお、魅了して止まず。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。