コックピットに赤軍派が乱入しても…「よど号ハイジャック事件」日航機機長のスゴすぎた決断と操縦技術

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スクープになると直感した“トップ屋”

 よど号が帰還した朝、当時「週刊女性」の記者だった高田幸一(仮名)は、その様子を徹夜明けの立ち食い蕎麦屋のラジオで聞いていた。

 特ダネを拾って来るいわゆる“トップ屋”だった高田は、さして感興も覚えずそのニュースを聞いていたが、数日後、英雄である石田機長に関する一つの情報を耳にして血が騒ぎ出す。それは「“英雄気取り”の機長の陰に、捨てられたかわいそうな女がいる」という話だった。

 これはスクープになると直感した高田は、その女性を探し始めた。情報によれば、石田機長はもう3年ほど前から自宅に帰らず、横浜でバーを経営する愛人と暮らしていた。しかし帰還後、英雄が愛人宅に戻るわけにもいかず、本妻のいる自宅に帰宅した。愛人は石田機長の同僚たちから身を隠すようにいわれ、店を閉めさせられて親戚の家を転々としている――。

「彼女は2人が暮らしていたアパートには不在で、市役所の戸籍の附票を追いながら、なんとか探し当てました。当時は今と違って個人情報が比較的オープンだったから、マスコミの人間でも正直に申請すれば、役所は対応してくれた時代でした。だからそんな追跡も可能だったんです」と高田はいう。

“英雄色を好む”ではないが、石田機長は女性にモテる艶福家で、ロスなど海外も含め、他にも数人の愛人がいるとの情報もあったという。

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 前代未聞の手柄を立てたばかりに私生活まで注目されてしまった石田機長。美談が愛人スキャンダルに変わり、事件から2年後に日航を退職した。その理由とは。つづく後編では、地上に降りた「元」機長の後半生、漬物店経営の失敗やがん発覚、本当の家族と過ごした最後の日々までをお伝えする。

後編【「よど号」機長の転落人生 英雄扱いから一転、2度目の愛人発覚で日航退職…最後に救いの手を差し伸べたのは】へつづく

上條昌史(かみじょうまさし)
ノンフィクション・ライター。1961年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。編集プロダクションを経てフリーに。事件、政治、ビジネスなど幅広い分野で執筆活動を行う。共著に『殺人者はそこにいる』など。

デイリー新潮編集部

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