コックピットに赤軍派が乱入しても…「よど号ハイジャック事件」日航機機長のスゴすぎた決断と操縦技術

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よど号を韓国へ誘導した「声」

 機は洋上に出て朝鮮半島へ向け北上、やがて北緯38度線を越えたあたりで「こちらピョンヤン・アプローチ・コントロール(進入管制)」との応答があり、よど号は西に進路を変え、スクランブルの戦闘機に誘導されるようにして空港に降り立った。しかしそこは平壌ではなく、韓国の金浦(キンポ)空港だった。

 犯人たちは最初そこをピョンヤンの空港だと思い込んでいたが、仲間の1人が滑走路にアメリカの旅客機が止まっているのを見て金浦空港だと見破り激昂した。

「騙すつもりだったのか」と詰め寄る犯人たちに江崎は、「私たちは誘導されただけだ。おまえたちも管制塔との交信を聞いていただろう?」と言ってなんとかなだめた。

 誰がよど号を金浦空港に導いたのか。これは現在でも謎となっている。平成18年、韓国が外交文書の中で「老練な機長の計画的な自意(自発的意思)による着陸」だったと明かしたが、石田機長は「平壌だと思って着陸した」と否定した。江崎も「乗務員の判断で韓国に着陸するような余裕はまったくなかった」という。

 ただし江崎は、近付いてきた戦闘機の尾翼に韓国空軍のマークがあったこと、管制塔の声が流暢な英語であったこと、交信に使われた周波数が共産圏では通用しないものだったことなどから、着陸する前にそこが金浦だと気づいていたという。だがいずれにせよ、よど号は管制塔の声に誘導されて金浦空港に降り立ったのである。

不時着に近い着地

 金浦空港では4日間に及ぶ交渉の結果、日本から駆け付けた山村新治郎運輸政務次官が身代わりとなり、午後3時頃に乗客の人質全員が解放された。

 コックピットには安堵の空気が流れた。あとはハイジャック犯を北朝鮮へ運ぶだけである。夕刻、石田機長は江崎に「行くぞ」と声をかけた。出発は翌朝だと思い、座席で仮眠をとろうとしていた江崎はその声に驚いて飛び起きた。

 このピョンヤンへの最後の飛行が江崎を最も震撼させたという。日没間際に、目的地の空港の場所も天候もわからないまま有視界飛行で向かうというのは、あまりにも無謀に思えたのである。しかし機長の決定は絶対なので、反対はできなかった。

 平壌上空に達したとき、すでに地上は薄暮に包まれていた。街の灯りは見えるが、飛行場は見えない。上空を一周したが見つからず(じつはピョンヤンの国際空港は平壌から40キロ北に離れた順安にあった)、不法侵入なのに戦闘機のスクランブルも来ない。そうこうするうち、日が暮れかかる。

 仕方なく、農道が滑走路を横切っているような小さな飛行場が見つかったので、そこに降りることにした。暗くなり時間がなくなったため、ローパス(滑走路の状況を確認するため低空飛行で一度通過すること)もできない。不時着に近い着地だった。接地の瞬間、機体は車輪が吹き飛ばされそうなほど揺れたという。

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