コックピットに赤軍派が乱入しても…「よど号ハイジャック事件」日航機機長のスゴすぎた決断と操縦技術

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戦闘機が視界に入ると足が震えた

 犯人たちとのやり取りを比較的冷静に行っていた江崎だが、名古屋の上空でスクランブル(緊急発進)してきた航空自衛隊のF86F戦闘機が視界に入った途端、足が震えて止まらなくなったという。操縦桿を両脚でギュッと挟み込んでその震えを止めようとする。

 ふと横を見ると、石田機長は泰然としてたばこを吸っていた。喫煙習慣のない江崎だったが、「僕にも1本ください」と機長からたばこを貰い、気を落ち着けた。

「自衛隊機を見た瞬間、はじめて大事件に巻き込まれていることを認識したんです。これから事件がどう推移していくのか、先行きの不安がどっと押し寄せてきた。自分で解決する自信はまったくなかったですからね。機長はふだんと変わらない様子でした」

 石田機長にとっては、その日が奇しくも国内線最後のフライトだった。翌4月1日付けで国際線機長への昇格が決まっていたからだ。

 石田は大正12年に秋田市で生まれ、仙台地方航空機乗員養成所を経て、陸軍特別航空輸送部に入った。戦時中は重爆撃機で東南アジアへの輸送任務に当たったほか、特攻隊員の夜間操縦訓練の指導も行っていた。日航への入社は昭和31年。よど号と同型機では最古参機長の1人であり、操縦術には定評があった。

石田機長の独断で離陸へ

 よど号は福岡板付空港で給油を行ったのち、午後1時59分、北朝鮮へ向けて飛び立った。乗客の安全を優先しすぐにでも北朝鮮へ向かいたい機長の意向とは裏腹に、政府や日航は事件を国内で解決したがっていた。江崎によれば、福岡ではあからさまな離陸阻止の工作が行われた。

 給油は手動で時間をかけて行われ、不具合部品の交換を打診され、自衛隊機が滑走路を塞いで離陸を阻止しようとした。渡された北朝鮮の地図はまるで中学生用の白地図で、平壌という地名に赤鉛筆で丸が付いているだけのものだった。

 それを見た石田機長は「これで飛べというのか」と呆れ顔だったという。よど号は離陸したが、実は管制塔からは離陸の許可が出ていなかった。「これ以上、時間稼ぎをすると、犯人たちが怒りを暴発させ、乗客、乗員の生命にかかわる」。こう判断した機長独断での離陸だった。

 この北朝鮮行きが、後に石田機長の処遇に影響することになる。

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