「よど号」機長の転落人生 英雄扱いから一転、2度目の愛人発覚で日航退職…最後に救いの手を差し伸べたのは

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前編【コックピットに赤軍派が乱入しても…「よど号ハイジャック事件」日航機機長のスゴすぎた決断と操縦技術】からのつづき

 1970年(昭和45年)3月、大胆な決断と卓越した操縦技術で「よど号ハイジャック事件」を終結に導いた日航の石田機長。帰国後は“英雄“ともてはやされたが、数カ月後の愛人スクープで状況が一変する。さらに2年後には別の愛人発覚により退職を勧告されたが表向きの理由に過ぎず、裏には上層部との確執があったという。やがて“地上の人”になった元機長は事業の失敗やガン発覚などの荒波に飲まれながらも、晩年に悟りのような発言を残していた。...

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