プーチンは何を考えているのか、何を望んでいるのか――米国のプーチン研究第一人者が訴え続けていた「危険性」

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一介のKGB職員から「皇帝」になった「プーチン」

 まさかと思われていた「ウクライナ侵攻」のトリガーをついに引いてしまったプーチン・露大統領は一体何を考えているのか――。それは固唾を呑んで動向を見守る我々のみならず、各国の指導者もまたそうであろう。なぜなら、それが理解できていたならば、こんな事態は起こっていなかったのだから。

 しかし、だれもこの事態を見抜けなかったわけではない。少なくともそれを指摘し続けた人はいる。たとえば米ブルッキングス研究所のフィオナ・ヒル氏がその一人だ。彼女はプーチンがまだ無名だった時代から現在までを細密に調査し、その動きに考察を加えてきた。

現在の状況を見事に言い当てた「プーチン分析」

 そして導き出した答えは「危険な人物である」と――。

 彼女は一時期トランプ政権下において、ホワイトハウス入りしたが、秘密裏に築かれつつあったトランプとプーチンの“蜜月”に反発してホワイトハウスを去り、さらにはトランプの弾劾裁判でも証言に立った。

 そんな彼女が、かつてプーチン分析の決定版として2015年に上梓したのが『プーチンの世界 「皇帝」になった工作員』(原題:Mr.PUTIN Operative in the Kremlin)である。クリミア危機、すなわち前回のウクライナ侵攻をうけて、長年のプーチン研究を世に問うた一冊だ。

 KGB出身とはいえ、決してエリートコースにあったわけではないプーチンが、いかにして表舞台に立ったのか。さらには彼が抱く国家観、歴史観、世界観、戦争観が然るべき根拠のもと、見事に描かれ、その結果として導き出された「ウクライナ侵攻」という手段。

 528頁2段組みの大部の書ゆえに、要約は困難だが、まずは一冊を通じて導き出された「結論」、「プーチンの本質」を、エピローグの冒頭から想起していただきたい。現在の状況を見事に言い当てていることがわかる。

〈ミスター・プーチンとはいったい何者なのか? 彼を行動へと駆り立てるものは何なのか? 本書ではその答えを探ろうとしてきた。エピローグでは、ここまでの理解や洞察を吟味し、私たちのプーチン研究から得られた教訓、プーチンという人間に対処するためのヒントについて考えてみたいと思う。

 ウクライナをめぐる2014年のロシアと西側諸国との対立を考察した私たちは、一部の識者がプーチンに関して非常に危険な思い違いをしていると確信するに至った。彼らはいくつかの重要な点でプーチンを過小評価し、別の点では過大評価し、プーチンの限界を見誤っている。

 まず、西側諸国の多くの人々はプーチンを見くびりすぎである。彼は目標実現のためならどれだけの時間や労力、汚い手段をも惜しまない人間であり、使える手段は何でも利用し、残酷になることができる。

 次に、西側諸国の識者は戦略家としての彼の能力を読み違えている。これまでにも数人が指摘したように、プーチンは単なる戦術家ではない。彼は戦略的な思考に長け、西側諸国のリーダーたちよりも高い実行力を持っている。その一方で多くの人々は、プーチンが私たちのことをほとんど知らないという点を見逃している。私たちの動機、考え方、価値観について、彼は危険なほど無知なのである。

 プーチンは西側の人間たちのことをどうとらえているのか?――それを理解しようとして初めて、彼の行動の論理、彼自身が従う論理が見えてくるだろう。ウクライナをはじめ、ヨーロッパやユーラシアで彼が何を求めているのか、彼がどこへ向かおうとしているのかがわかってくるはずだ。〉

 このように始まる本書のエピローグでは、続けてこのような評価をプーチンに下す。

“あらゆる手を尽くして実行方法を見つけてくる”のがプーチン

〈この点を念頭に置いて、プーチンが2014年にウクライナで起こした戦争に関する暫定的な結論をまとめてみよう。また、プーチンがロシア近隣諸国で最終的に何を成し遂げようとしているのか、私たちなりの見解を述べてみたい。言うまでもないことだが、この原稿を書き上げたあとも、プーチンとウクライナ、ロシアと欧米との関係をめぐる物語は日々変化していることを書き添えておきたい。

 まず、ウラジーミル・プーチンの言葉は常に真剣に受け止めなければならない。彼は嘘の約束や脅しはしない。彼が何かをすると言い、いったんその準備が整えば、あらゆる手を尽くして実行方法を見つけてくる。

 プーチンの自伝や初期のインタビューをはじめとする伝記資料のなかで、プーチンとクレムリンの面々は、「喧嘩好きな小さなストリート・ファイター」というプーチンのイメージを国内外の読者や聞き手に与えようとした。こうした初期の資料やその派生物はすべて、第2次チェチェン紛争を意識して制作されたものだった。しかし同時に、将来の出来事を見越したものでもあった。買った喧嘩は最後まで戦い抜く――それがウラジーミル・プーチンだと強調したかったのだ。

(子ども時代のように)ボコボコに打ちのめされても、(大統領時代のように)地位を失うリスクを負っても、(第2次世界大戦中の父のように)特攻作戦に参加することになっても、彼は戦いつづける。時に、ウラジーミル・プーチンにはとうてい勝ち目がなさそうに見えることもある――背は低く、相手よりひ弱に見え、1990年代まで地味な2番手の役職にしか就いてこなかった。しかし、彼はこうした自身の特徴さえメリットに変えてしまう。

 要するに、ウラジーミル・プーチンは戦士でありサバイバリストだ。決して諦めないし、勝つためなら汚い手も使う。

 子ども時代、彼はレニングラードの通りや中庭で決して諦めなかった。チェチェンでも諦めなかった。ウクライナでも、ほかの近隣諸国でも決して諦めようとはしない。ウラジーミル・プーチンの喧嘩のルールは、彼の国内政治や外交の原則と基本的には同じである。信頼を得て、有利な立場を築き、自分の主張を通すまでは絶対に引き下がらない。相手が降伏し、自分の縄張りと条件が確定したら――少なくとも、次の対決の機会がやってくるまでは――仲直りして前に進む。〉(一部改変)

 現状において“仲直り”への道筋は見えていない。日本にはいまだにプーチンと日本との情緒的な結びつきがあると信じる向きもいるようだ。が、ヒル氏の分析が示しているのは、プーチンについて何らかの性善説的な見方を取ることの危険性ではないだろうか。

デイリー新潮編集部

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