ロシアにイスラエル… 「いつか行こう」のはずが行けなくなってしまった国(古市憲寿)

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「いつか行こう」。そんなふうに思っていた国や街がある日、急に遠くなってしまうことがある。

 たとえば日本からイスラエルは、決して行きにくい国ではなかった。特に今年3月からは、エル・アル航空が成田-テルアビブ間の直行便を就航させていた(ただし保安検査が世界一厳しいことで悪名高い)。

 パレスチナへも、ヨルダン川西岸地区ならエルサレムから日帰りで簡単に行けた。『地球の歩き方』などガイドブックにも名所が掲載されていたくらいだ。

 だが10月に入り、イスラエルとハマスの軍事衝突が起こった。目下の所、テルアビブ国際空港に商用便は飛んでいるものの、日本からの直行便は運休してしまった。またパレスチナはヨルダン川西岸にも渡航中止勧告が出ている。

 ロシアも同様だ。かねてからロシアへ行くにはビザが必要だったが、ウラジオストクなど沿海州やハバロフスクは電子ビザで簡単に滞在できるようになっていた。しかし新型コロナウイルスの流行と、ウクライナへの軍事侵攻により、日本にとってロシアは随分と遠い国になった。

 国際情勢ではなく、自身の体力という問題もある。残間里江子さんから聞いた話だが、友人がスペイン旅行に出掛けた。いわゆるパック旅行だったが、移動距離がとんでもなかった。連日のバス移動に、友人は死にそうになりながら帰国したのだという。パック旅行は限られた日程でめぼしい観光地を制覇しようとするので、過密スケジュールになりがちだ。きっとパンフレットを眺めている時は素敵に見えたのだろう。

 老後にゆっくりと旅行をしようと考えている人がいるかもしれないが、旅にも体力が必要だ。若い時は体力があっても時間やお金がない。老後は時間やお金はあるかもしれないが、若い頃ほどの気力がない。人生とはままならないものだ。

 10年ほど前、存命だった祖母や、生まれたばかりの甥っ子たちと家族旅行をしたことがある。祖母は足腰が弱っていたため歩行器を使い、甥っ子はまだ歩ける前だった。誰の助けも借りずに、すたすた一人で歩ける時間というのは有限なのだと思い知らされた。

 小倉智昭さんは「老後は思い通りにならない」と言っていた。小倉さんなりに、老後を楽しむためにいろいろな準備をしてきたが、大病もし、予想外の悩みにも遭遇し、全く計画通りにはならなかったという。

 年を重ねても人生を謳歌しているように見える人がいる。最近気付いたのだが、そのような人は、若い頃はもっと人生を楽しんでいたのではないか。元々がすごいので、端から見れば十分と思ってしまうが(小倉さんもそうだ)、本人からすれば老いを感じるのだろう。

 人類史において今日が一番平和な日かは不明だが、あなたの人生においては今日が一番若い日だ。よく聞く名言だが、こと旅に関しては核心を突いているのではないかと思う。「いつか行こう」の「いつか」は永遠に来ないかもしれない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年11月9日号掲載

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