便利な「コンビニのセルフレジ」使い方を覚えない人たち 「なくても何とかなる」のせいで社会は変わらない?(古市憲寿)

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「Neighbourhood」という米津玄師さんの曲にこんな歌詞がある。「定期を買うくらいのまとまった金すらなくて」「毎日切符で済ましてむしろ金かかる」。定期を買った方が安上がりだし、便利なのもわかっているのに、お金がないために普通運賃で電車やバスに乗る羽目になる。

 この状態は貧困の本質を突いている。長期的な投資ができないため、いつまでも貧困から抜け出せないというのだ。調理器具がないからカップ麺を買う、家を借りる初期費用が払えずにネットカフェで暮らす、といった具合である。

 考えてみれば、人類も長い間、この初期投資ができずに貧困状態だったともいえる。たとえば文明が高度に発達するには文字が欠かせないが、社会への導入には多額のコストがかかる。

 日本語の読み書きには、ひらがなやカタカナに加えて漢字が必要だ。常用漢字は2136字あり、小学校と中学校の9年間をかけて習得することになる。他教科を学ばず、日本語の読み書きだけに特化しても、ある程度の学習期間は欠かせない。

 実際、日本で読み書きのできる庶民が増えたのは江戸時代からだ。それも地域差が大きかった。明治時代初期の調査によると、鹿児島では自分の名前を書けない人が約8割に上ったという(文部省「日本帝国文部省年報」)。

 文字を知ったわれわれは、文字なき世界を想像するのが難しい。現代人は本を読まないといわれるが、それでもスマートフォンを通じて膨大な文字情報をやり取りしている。検索もハッシュタグも、文字なしには成立しない。動画やボイスメッセージなどコミュニケーション手段は増えているが、完全に文字が消えることはないだろう。

 一方で、人間は文字がなくても生きていくことができる。現在でも識字率の低い国はあるし、人類史の大半は無文字時代だった。

「あると便利だがなくても何とかなる」という点がキモである。文字に限らず、ほとんどのテクノロジーは「あると便利だがなくても何とかなる」。そして問題は、「あると便利」の状態になるまで、一定の習得期間が必要なこと。

 話の次元は変わるが、新幹線のネット予約や、コンビニのセルフレジは、使ってみると非常に簡単で便利だ。誰でも1分もあれば習得できると思う。だがその手間を惜しんだり、面倒臭がる人は多い。常用漢字の習得よりもはるかに簡単であるにもかかわらず、だ。

 日本のデジタル化が遅れているのも、「あると便利だがなくても何とかなる」というのが大きい。転居・転入出届をオンラインで完結できた方が便利だろう。運転免許証も健康保険証もスマホに入れられれば置き忘れのリスクが減る。

 だが現状のままでも社会は回ってしまっている。しかも新しいものには導入コストがかかる。反対理由などいくらでもつけられる。大昔も、文字は人間を馬鹿にするという批判があった。そんなわけで社会はゆっくりしか変われないのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年10月5日号掲載

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