ウサイン・ボルトがゴール前で“流した”本当の理由とは? 当時は「敬意に欠く」と批判も(小林信也)

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 陸上男子100メートルの王者として一世を風靡、いまも9秒58の世界記録保持者であるウサイン・ボルト(ジャマイカ)は、自分が将来、100メートルで伝説を作るとは考えていなかった。少年時代、ボルトが熱中したのはクリケットだ。17世紀後半に大英帝国領となったジャマイカでは、クリケットが広く愛好されている。ボルトの夢はクリケットの英雄だった。しかし、家庭環境がそれを許さなかった。裕福ではなかった。ニューズウィーク誌のインタビューに答えて語っている(2009年8月)。

「うちは金持ちじゃない。それは確かだ。私を学校に行かせるために父は一生懸命働いた。でも欲しいものは何でも与えてくれた。今でも父は働き者だ」

 そして「ジャマイカのスポーツ選手の成功は、祖先が奴隷だったことと関係あるか?」と聞かれ答えた。

「ジャマイカのスポーツ選手の大半は、アフリカから連れて来られた奴隷が住んでいたコックピットカントリーと呼ばれる地域の出身だ。足の速い人はたいていその一帯で生まれている。だから関係があると思う」

 奨学金をもらい、特待生として高校に入るため、ボルトは陸上一本に絞る決断を迫られた。後に100メートルの王者となり、「天才」と呼ばれるボルトが、仕方なく陸上を選んだ経緯が不思議というか、皮肉な現実に思われる。ボルトに限らず、天才が天賦の才に巡り合い、自らが輝ける舞台にたどりつく道のりは案外、偶発的だ。陸上競技に専念してからも、ボルトが専門にしたのは200メートルで、次に目指そうと考えていたのは400メートルだった。身長195センチのボルトは100メートルでトップを目指すには背が高すぎる、スタートが苦手なはずだ、それが当時の常識だった。ボルト自身もそう信じていた。だから、ボルトが最初に世界に名を轟かせたのも02年の世界ジュニア陸上選手権、15歳で男子200メートルに優勝した時だ。

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