恩師とつくり上げた“理想の泳ぎ”で失格に… 「水没泳法」の高橋繁浩が再びの大舞台で見せた“メダル以上の輝き”(小林信也)

  • ブックマーク

 高校2年生の高橋繁浩がサンタクララ国際水泳大会に出場、男子100メートル、200メートル平泳ぎで優勝した。いずれもその年(1978年)の世界最高タイム。世界ランク1位になり、80年モスクワ五輪の「金メダル候補」と脚光を浴びた。だが、高橋の水泳人生はそこから順風満帆とはいかなかった。

 モスクワ五輪に向けた79年の日本室内選手権。審判が高橋の泳ぎを「泳法違反」と判定し、失格となった。以後、「水没」の二文字に悩まされ続ける。

 当時は〈スタートとターンを除いて頭がすべて水に沈んではいけない〉と規定されていた。...

つづきを読む