「走る哲学者」為末大が半生をかけて考え抜いた「いかに学ぶべきか」の最終回答
問題はグラウンドの中だけではない
私が選手だった頃見かけた風刺画がある。選手は真ん中にいて、専門家が選手を取り囲んでいる。選手は少し困ったような表情で「不調」を主張している。栄養士が選手に対し「食事のバランスが崩れていることが問題です」とアドバイスしている。その隣のストレングストレーナーが「筋力トレーニングの不足により基礎的な筋力が足りていません」とアドバイスしている。メンタルトレーナーは「心理的に不安定で休養が必要です」と言い、コーチは「もっと集中して、目標を高く持て」と繰り返し、その周辺を囲むメディアは「彼のピークは過ぎた」と言っている。
この風刺画はスポーツ選手に限らず、人間が直面しがちな状態を見事に言い表している。問題はグラウンドの中だけにあるとは限らない。技術的にうまくいかないのは、筋力が追いついていないからかもしれない。筋力が追いついていないのはしっかりと栄養が取れていないからかもしれない。栄養の問題は、心理的に疲れていて食事が喉を通らないことが影響しているかもしれない。心理的に疲れているのは最近恋人とうまくいっていないことが原因かもしれない。または幼少期のトラウマが影響し、今症状が出ているのかもしれない。社会情勢が不安定だというニュースを朝見たせいかもしれない。または低気圧で体調が変化したからかもしれない。人は社会の中に生きていて、外部の影響を受けている。
私はコーチすらいなかったから、あらゆるアドバイスや批判がある中で何を大切にし、どう自分を鍛えていけばいいのか常に悩み続けていた。たくさんの問題に直面したが、全体から切り離してはっきりとわかる問題などほとんどなかった。
問題がわかれば解決方法を見つけることは可能だ。だが、その問題を見つけ出すこと自体が難しい。トラブルや、うまくいっていない結果はわかっても、その原因がどこにあるのかを見つけることは相当に困難だ。私たちを取り囲む環境の要素はすべて関係している。現代ではどの領域も詳細に分け、整理されているが、概念上切り離したとしても、結局すべては繋がっている。
アスリートは、自分の競技人生でうまくいかず悩んだことにこそ興味を持つ。チーム競技の人間は組織論やリーダーシップ、試合時のメンタルコントロールに苦労した人間は心理学、怪我が多かった人間は生理学、メディア対応で苦労した人はメディアとの付き合い方、技術を考えていた人間はバイオメカニクス(動作解析)といった具合にだ。私はコーチをつけないで自分一人で競技をしていたから、人間がどのように学んでいるのかに興味を持った。あらゆる要素がある中で、それらを統合し、いかにして極めていくのかを知りたかったのだ。
オリンピックでは、確かに想像を超えたアスリートを目にする。人間にどうしてこんなことができるのだろうかと驚くこともある。世界大会で一位の選手を後ろから追いかけながら、世界一のレベルの高さに愕然としたこともある。トップアスリートは素晴らしい。だが、考えてみると、人間である以上、誰しも生まれてから様々なことを身につけるのだから、共通した学習システムがあるはずである。一〇〇メートルを九秒台で走ることも信じられないが、私たちは誰に教わらなくても、学習することで歩き走れるようになる。
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