84歳で孤独死した日本初の風俗ライター・吉村平吉さん 思わず「良かったですね。まるで現代の荷風ですよ」と言った人生を辿る

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 様々なジャンルで活躍した人たちが人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。第3回は「日本初の風俗ライター」と呼ばれ、作家の野坂昭如(1930~2015)や吉行淳之介(1924~1994)とも交流があり、自身が憧れた永井荷風(1879~1959)と同じように「孤独死」した吉村平吉(1920~2005)。生涯独身。何にも縛られず、自由に生きた人生の裏には何があったのか。日本で唯一「大衆文化担当」の肩書を持つ朝日新聞編集委員の小泉信一が迫ります。

「その筆は清雅」と野坂昭如も絶賛

 新聞記者になって35年。さまざまな人の死に遭遇してきたが、“見事な孤独死” を成し得た人はあまりいない。

 先達と言えば、永井荷風だろう。72歳で文化勲章を受章したあとも浅草に通い、夜ごと踊り子たちと遊んだ。79歳で亡くなる前日まで、いつものようにカツ丼とお新香と日本酒1合をたいらげ、最期は自宅で倒れてひとり亡くなった。

 その荷風に憧れ、東京・吉原の旧赤線地帯で暮らしていたのが「元祖風俗ライター」と呼ばれた吉村平吉である。

 色と酒を愛した酔狂な「アスビ(遊び)人」。作家の野坂昭如は「きわめて卑俗、猥雑な巷を描き風俗人情を移して、筆者の筆は清雅である」と称した。吉行淳之介や田中小実昌(1925~2000)らとも親交が深く、彼らにとっては小説を書くうえでの貴重な情報源でもあった。

 俗事一切を突き抜け、飄々と生きた人生。通称「へーさん」。
 浅草の飲み屋で紹介されたのは私が30代の頃である。バリバリの社会部記者として粋がっていたころ。そんな私に、へーさんはこんなアドバイスをしてくれた。

「昔は、遊びでも『本気にさせる』ことを『ハズス(外す)』といって、恥だと嫌がられたものでした。情感をこめつつハズスことこそ、遊びの極意、緊張感、節度があるのです」

 要は、本気と遊びを区別しろ、ということなのだろう。

 へーさんが亡くなったのは2005年3月1日。享年84歳だった。

 前日までチューハイを飲みながらウナギの蒲焼きを食べていたという。その健啖ぶりは年を重ねても恐ろしいものがあった。だが貧乏暮らし。ウナギの蒲焼きではなく芋の天ぷらだったのではないかという話もある。

 まあ、どちらでもいい。

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