「いつかは来ると思っていました」 大麻所持の家宅捜索でマトリが踏み込んだ時に交わされた会話 過去事例から解説する

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最高級の大麻「シンセミア」とは

 隣室には水耕栽培キットが並べられていた。やや小ぶりだが20株はあるだろう。土壌の代わりにロックウールが使われ、根は養分や水が循環する貯水槽に張り出している。また、水が腐らないよう、エアーポンプを使って酸素を供給し続けていた。

 部屋の壁には換気ダクトが這い、窓に取り付けられた換気扇に繋がっている。壁面は全体が反射シートで覆われ、天井には高価な高圧ナトリウムランプを備え付ける熱の入れようである。部屋の隅にある物干しスタンドには、収穫したばかりのバッズ(Buds=つぼみ・芽の意味)を吊り下げて乾燥させていた。ざっと30グラムは下らないだろう。

「あそこに干してあるのは“シンセミア”ですね」

 Qはスタンドを見ながら自慢げに語った。

 大麻草は雌雄(しゆう)異株で、雌花の周囲に大量のTHC(幻覚成分のテトラヒドロカンナビノール)を含む樹脂を持つ。ところが、雌花は受粉すると種を作り始め、THCの含有量が低下してしまう。そこで、知識と技術のある栽培者は、あらかじめ雄株を取り除き、受粉を避けながら雌花を完熟させ、THC濃度の高いバッズを生み出すのだ。このバッズは、スペイン語で「種なし」を意味する「シンセミア(sinsemilla)」と呼ばれ、「最高級の大麻」と評されている。

 冷蔵庫の中には、乾燥を終えたバッズがプラスチックケースに揃えて保管されており、テーブルには肥料や吸煙道具が散乱していた。そして、流し台には、たった今製造したばかりの蜂蜜色をした「大麻ワックス」が入ったピルケースが置かれていた。大麻ワックス(別名:BHO=ブタン・ハニー〈ハッシュ〉・オイル)は、ライターや家庭用コンロなどに使うブタンガスを溶媒として、主にバッズからTHCを抽出した濃縮大麻である。THCの含有量は通常のバッズの5~10倍、日本に自生する大麻の60倍以上に上る桁違いの存在だ。最近は捨てられることの多いリーフ(葉)も、粉砕してブタンガスを用いて抽出すれば、ある程度の濃縮物を得ることができる。また、ワックスと違い、製造にラボに近い施設を必要とする「大麻リキッド」と呼ばれる濃縮オイルもある。

素人が「密造者」になるとき

 2018年1月、東京都目黒区内で、ラッパーでタレントの男(43=当時)が麻薬取締部に逮捕されたことをご記憶の読者もいるだろう。この事件で彼は有罪判決を受け、新聞、テレビでもニュースとして取り上げられた。彼はバッズ約550グラムと、カートリッジに充填された大麻リキッド約45本(約14グラム)等を所持していた。このカートリッジは電子たばこに装填可能で、5回ほどに分けて吸引する。大麻特有の臭いはなく、たとえ隣で吸われてもまず大麻とは分からない。問題はこの大麻リキッドのTHC含有量が「60%」と非常に高いことだ。大麻ワックスと同じく、通常のバッズの5~10倍はある。素人がカートリッジ1本を一気に吸えば、意識混濁などの急性症状は避けられない。そんな危険な薬物が「商品」としてきれいに梱包されて海外から密輸されているのだ。

 仮に体重60キロの成人が、大麻を摂取して感覚の変化を得ようとする場合、個人差はあるものの、THC量に換算すると6ミリグラムは必要と考えられる。これを基に最近の大麻のTHC含有量から、一回の摂取量を推計すると、乾燥大麻(葉)の場合は約0.2~1グラム、バッズの場合は約0.05~0.3グラム、ハッシュやチョコと呼ばれる大麻樹脂も同量。それが、大麻ワックスや大麻リキッドでは0.007~0.01グラムということになる(あくまでも目安だが)。

 これを見ても大麻ワックスやリキッドがどれだけ危険か容易に理解できるだろう。2014年、全国で無差別に販売された危険ドラッグのなかに、合成カンナビノイド系物質を含むハーブが数多く存在した。これは大麻と作用が似通い、しかも効果は数十倍強い。当時は未規制の物質が多く、警戒心のない若者が街頭店舗で平然と購入・吸煙し、悲惨な事件・事故を引き起こした。近年の大麻の高濃度化が危険ドラッグと同様の事態を招くのではないかと、私は危機感を強めている。

 余談になるが、大麻を巡って読者に注意してもらいたいことがある。実はいま、海外で大麻成分を含むチョコレートやクッキーが出回っているのだ。「メディカルマリファナ」などと記載されているが、板チョコ1枚にマリファナ10回分以上のTHCが含まれている。経口摂取は吸煙と違って効果の発現に時間がかかる。何も知らずに1枚を平らげると、食後暫くしてから幻覚に襲われて意識混濁に陥ってしまう。実際に救急搬送された例もある。海外旅行をする際には十分にご注意願いたい。

 話を戻そう。前出の男性会社員Qはタンスを利用して「苗床」まで作っていた。大麻種子の種類別に苗が整然と分けられており、その丁寧な仕事ぶりや、技術の高さにはベテラン捜査員も舌を巻いたという。その後、Qは大麻と麻薬LSDの所持で現行犯逮捕された。取調べにも素直に応じ、担当捜査員に次のように供述している。

「5、6年前、ヨーロッパ旅行中に友人に勧められて大麻を知った。吸うと気分が落ち着くし、部屋で音楽を聴くときは大麻がなければ話にならない。何しろ、聞こえない音まで伝わってくる」

「大麻はインターネットで買っていたが、色々と調べていくうちに栽培に興味が出て3年前に始めた。栽培方法はネットに溢れている。種子は16年から“ホワイトウィドウ”“ブルーベリー”を使っている(いずれも海外で品種改良されたTHC濃度の高い大麻の種子=ブランド品)。水に浸したキッチンペーパーの上で種を発芽させ、芽が出たら鉢に移した。水耕栽培は全てクローン(分枝・挿し木)だ。一番気に入った雌株を“マザーツリー”にして、それからクローンを作った」

 捜査員が「ダクトで排気しているが、臭いで近所から苦情が出なかったのか」と質すと、「風向きがいいんですよ。ここは角部屋で、隣は空き地。風が抜けて行く。周辺が臭うことは殆どありません」と胸を張って答えたという。

無駄な時間だった

 Qは執行猶予付きの判決を受けた後、捜査員に挨拶に来ている。律儀な青年だ。

「今でも大麻はそんなに悪いものとは思っていませんが、なぜあんなに夢中になったのだろうと、自分でも驚いています。お金もずいぶん使ったし、大麻がきっかけで他の薬物も経験した。一日中大麻のことばかり考え、暇があれば大麻を吸っていた。そのせいか、集中力がなくなり記憶力も落ちた。“あんたは大麻に取り憑かれている。おかしい”と言って恋人も出て行った。大麻を吸わなければ不安な気持ちに襲われ、不眠症にもなった。いまでは無駄な時間を過ごしたと思っています」

 そう丁寧に挨拶したという。

 ***

 会社員であればクビは必至、芸能人も最低限謹慎は免れず、賠償金を求められるケースも珍しくない。それを承知のうえでなお手を出すというのなら、そのこと自体が大麻の危険性を示しているといえるのではないか。

※瀬戸晴海『マトリ―厚労省麻薬取締官―』(新潮新書)から一部を引用、再構成。

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