「駄目かもです」上岡龍太郎さんが晩年に語っていた言葉 引退後に見せていた“未練”

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意外な場所で再会

「漫画トリオ」のメンバーだった青芝フック(85)に聞くと、

「引退後、さまざまな人がテレビに出そうと上岡さんに声をかけ続けた。それでも彼は首を縦にふりませんでしたでしょう。そこまで固い決意を守り続けたのはすごいこと。しかも、あれだけ一生懸命働いて大勢の人と仕事をしたのに、誰ひとり引退した本当の理由を聞いていない。昔から周囲にバリアを張るというか、余計な詮索をされるのを嫌がる性格ではあったけどね。彼は引退後、周囲に“連絡取らんといてな”などと言っていましたから……」

 沈黙を守り続けた上岡さんは、どんな日々を過ごしていたのか。その日常をうかがい知ることのできる貴重な上岡さんの著書『“隠居”のススメ』(弟子との共著)を読むと、〈ほとんど毎日のように、芝居や落語を聞きに行っています。チケットぴあとにらめっこしています〉とつづられている。

 意外な場所で再会したと明かすのは、関西を代表する司会者として上岡さんと並び称されることの多かった浜村淳(88)だ。

「大阪でサイレント映画の催しがあって、私は片岡千恵蔵主演の『番場の忠太郎 瞼の母』の活弁を担当したんです。ステージ上から客席を見渡したところ、上岡さんご夫婦が座っていたんですよ。わたくしから招待状を送ってはいなかったので、わざわざ一観客として、入場料を払って鑑賞しに来たのではないでしょうか。終了後、楽屋を訪ねてくることもなく、いつの間にか来て、帰っていた。会話を交わす機会も全くなかったので、引退理由と同じく、あの日の出来事は謎のままです」

弟子から見た引退の理由

 悠々自適の日々を送っていた様子はうかがえるが、上岡さんは本当に満足していたのか。その胸の内を聞いていた数少ない人物が、上岡さんの弟子でお笑いタレントのぜんじろう(55)である。

「現役の頃から、師匠は“ノックちゃんをずっと見てきたから、年を取ったらどうなるか分かります”って口にしていました。10歳も離れた相方を基準に、肉体が衰えるとはどういうことか、そして、どう受け入れるか、引き際の美学を真剣に考えていた。“やっぱり山は登ったら、下りていかなあかん。登ったきりはおかしい”と言っていましたね」

 読書家の上岡さんらしく、時には哲学問答のようなやり取りもあったという。

「毎回、言うことは変わりますけどね(笑)。現役時代によく言っていました、“死ぬことを考えるのは、生きることを考えることや”って。元気な時にピタッと辞めるか、ボロボロになって最後まで人様の前に立つか。どちらが正解という話ではないけど、考えること自体を楽しんでいたと思います」

 そう振り返った上で、

「引退は師匠もさまざまな理由が重なった末の決断だったと思いますね。一個だけ明確に“コレや”っていう理由はないし、ご本人もよく分かっていなかったかもしれません。芸能界への未練はちょっとあったでしょう。一方でスパッと辞めたという己の美学に酔いしれていた部分もあったはず。引退後は趣味のゴルフやマラソンに打ち込み、本当に楽しんでいたけど寂しくなる時もあって、いろいろな思いが入り混じっていたんじゃないでしょうか」

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