お笑い芸能人の引き際とは 「荒井注さん」の場合

エンタメ 芸能 2020年2月19日掲載

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 一時期、テレビで見ない日はないほどの活躍ぶりを見せていたみのもんた(75)が「秘密のケンミンSHOW」のレギュラーを降板し、ついにレギュラーがゼロになる、というニュースが反響を呼んでいる。

 本人によれば、還暦を過ぎたあたりから体力の衰えを感じており、

「数字低迷で番組打ち切りになって“みのさん、いなくなった”と言われるんじゃなくてね。数字がいいのに“どうしていなくなったの”と言われたほうがいいもん」

 と考えたのだという(「週刊新潮」2月6日号)

 引き際をどうするか、というのは功成り名を遂げた人にとっては大きな課題。だからこそ有名人の引き際は注目の的になるのだろう。もう引いて欲しいと周囲は思っているのにそんな気配も見せない、といった人も各所にいることも、今回の決断が好意をもってむかえられるゆえんだろうか。

 芸能界でいえば、どちらかといえば人気が無くなって自然に身を引いていく、あるいは不祥事などで否応なくそうなってしまう、というケースの方が多く、まだまだ人気があるのに……というのに身を引く人のほうが少ない。

「人気があるのに……」の代表例としてよく取り上げられるのは、上岡龍太郎さんだろう。本人の強い意志で引退した後は一切表に出てこず、取材にも応じない。惜しむ声もいまだにあるものの、その潔さはもはや伝説的ですらある。

 同じお笑い界では荒井注さんの存在も忘れてはならないだろう。ザ・ドリフターズが人気絶頂の頃に脱退。自らの意思でフェイドアウトしていった人物。厳密に言えば、荒井さんの場合は、芸能界引退ではなく「お笑い界引退」というスタンスだったようだ。

「ドリフといえば志村でしょ」という若い人のために、あるいは「なんだバカヤロー!」が懐かしいという年配者のために、ノンフィクション作家、黒井克行さんの著書『男の引き際』から、荒井さんについての章(「でも、忙しいのはごめんだったね」)をご紹介しよう。

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脚本家志望のつもりが

「なんだバカヤロー!」

 態度はデカかったが、誰からも愛されたお笑い芸人がいた。

 荒井注。人気お笑いグループ、ザ・ドリフターズの一員だった。

 芸能界というのは、その世界に足を踏み入れたことのある人でなければその本当の魅力はわからないのかもしれないが、自らすすんでやめていく芸人というのはほとんどいない。腰が曲がって同情の拍手しかもらえないのに舞台に上がり続けたり、売れなくなって週刊誌の「あの人は今?」の企画で揶揄(やゆ)されても笑ってごまかしたり、地方の場末のスナックでかつてヒットしたたった一曲だけで生活したりと、彼らの芸人であることへの執着心には感心させられる。

 しかし、荒井注はそれらの芸人とはかなり違っていた。当時、爆発的人気を誇っていたドリフターズを、何の惜しげもなく、ある日突然、やめてしまったのだから。その後は申し訳程度にテレビの2時間ドラマに俳優として出演することはあったが、お笑いの世界に戻ってくることはなかった。

 2000年2月9日、荒井注はこの世を去ったが、私は雑誌の取材で荒井に会う機会を得て、隠居を決め込んだ伊豆へと足を運んだことがある。

「僕は人の前に出てやりたいなんて気持ちはちっともなかったんです。むしろ、脚本家志望でそのつもり大学でも国文科を選んで、勉強していたんですよ。それがどこでどう間違ってしまったんですかねえ」

 ドリフ世代の私にとって、荒井に対する思い入れは強く、飄々(ひょうひょう)と話す様はやっぱりあの荒井注だったことにホッとさせられた。

 その半生もまた飄々としていた。荒井は学費稼ぎのために、バイトでバンドマンとしてライブハウスに出入りしていた。気がつけばそれが本職となり、やがてドリフ夕ーズのリーダーであるいかりや長介と出会うのである。

「これでも中学と高校の国語の教員免許を持っているんですよ。当時、教員は不足してひっぱりだこだったんですが、給料が安くてねえ。せこい三流バンドでもその倍は稼ぐことができたんで入り込んでしまったんですよ。ドリフはちょうどメンバーに穴があいたところで、そこに僕がたまたまいたんですよ。僕が一番年上で、加藤(茶)とは15も違うんです。だから、彼らと同じように行動することは体力的にはきつかったねえ」

 ドリフターズといえば、やはり「8時だヨ!全員集合」である。1969年から16年も続いたお笑いの公開生放送番組だ。驚異的な高視聴率を維持し続けたお化け番組だったが、PTAからはワースト番組の汚名を着せられ、話題と問題に事欠かない画期的な番組だった。ドリフターズは番組の高視聴率に支えられて人気も鰻(うなぎ)登り、当時はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

 しかし、荒井は5年で番組だけでなくドリフターズからも身を引いてしまったのである。

「とにかく忙しかったよねえ。本番は土曜日なんだが、休みは日曜日だけで、月曜日からまたすぐに次の番組の準備を始めるんだ。火曜日までにスタッフらと深夜までふざけながら言いたいことを言いあって、台本のネタを探すんだよ。明け方までやることもザラだったね。台本ができたら立ち稽古、水曜と木曜に小道具を発注し、金曜にセットを作り、土曜の本番は朝10時から現場で稽古。そしたらもう本番だよ。あんなにキツイ時期はなかったね。そもそもが僕はなまけ者で、忙しくしているのは好きじゃないし、性にも合わない。だから5年といえども自分でもよくやったと思うよ」

 ただ忙しいだけじゃなかった。ケガも多かった。客から笑いをとるために、体をはったコントが少なくなかったからだ。大量の水が降ってきたり、ブリキのたらいが頭を直撃するのは当たり前の世界で、誤って水ごとバケツが落ちてくることも珍しくなかった。実際に荒井の体には縫った跡が何カ所も残っていた。常に満身創痍で仕事にのぞんでいたのだ。特に、一番年上の荒井の体にはこの“肉弾戦”は堪(こた)えた。とにかく、ものがあらゆるところから落ちてくる。反射神経も要求されるドリフの笑いに、荒井はすぐに限界を感じはじめていたのだ。

「楽しいことは楽しかったよね。最初は自分でも気づかなかったんだけど、人を笑わせることが好きだったんだろうね。でも、忙しいのはごめんだったね。だから、その反動からわずかな時間をみつけては、夜中でも車を飛ばしてよく釣りに行ってたんだ。気を紛らすためと、少しでも都会の喧騒から離れたかったというのが本音だね。それと人間関係かな。どんな仕事をするんでも人間との付き合いは必要なんだろうけど、随分と難しいところにいたような気がするよ」

 荒井は格好つけることなく淡々と語ってくれたが、笑いを演じていたその裏では苦悩もあった。

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