追悼・上岡龍太郎さん オカルト嫌いの背景に母親の死 気難しいイメージがあったのはなぜか

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90年代に東京で急に仕事が増え始めた理由とは

 また、歯に衣着せぬ直言を売りにしていた上岡は、たびたび舌禍騒動を巻き起こしていた。特にオカルト嫌いは有名で、占い師や霊媒師などと共演すると徹底的に批判したり、怒りのあまり途中で番組を退席してしまったりした。「信じるか信じないかは自由」というようなオカルト思考の曖昧さを、上岡は決して許さなかった。

 上岡がオカルト嫌いになった背景には、小6のときに最愛の母を亡くしたことがある。がんを患っていた母のもとにはインチキ臭い霊媒師や霊能者と称する人たちが押し寄せてきた。彼らは誰一人として母の病気を治すことはできなかった。上岡はそれ以来、霊能者と自称するような人間を一切信用しなくなり、テレビでもその立場を貫いた。

 90年代に東京で急に仕事が増え始めた理由についても、本人は冷静に分析していた。理屈っぽくてこだわりが強い性格なのは子供の頃から変わらないのだが、若い頃にはそれが生意気だと思われていた。

 ただ、40歳を過ぎて、髪に白髪が交じり始めるようになると、その性格が見た目に合ってきた。それで徐々に世間にも受け入れられるようになってきたのだろう、と彼は考えていた。

 上岡はただの気難しい頑固者ではなく、その裏には彼なりの理屈や合理性があった。多くの視聴者はそれを何となく察していたからこそ、テレビを通して彼の屁理屈や話芸を純粋に面白がっていたのだろう。

 テレビと芸能の歴史にその名を刻んだ上岡氏のご冥福を心からお祈りします。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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