追悼・上岡龍太郎さん オカルト嫌いの背景に母親の死 気難しいイメージがあったのはなぜか

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放送時に規制音…“楽屋話”で全国を笑わせた「パペポTV」

 元タレントの上岡龍太郎氏が、5月19日に大阪府内の病院で肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていたことが発表された。

 上岡はもともと関西を拠点に活動していた。90年代には数多くの全国ネットのテレビ番組にも出演するようになった。

 そんな上岡は、テレビの収録中でも気に入らないことがあればなりふり構わず怒り出したり、屁理屈をこねて相手をねじ伏せたりする気難しい人物というイメージがある。しかし、彼はただ意味もなく怒ったり暴れたりしていたわけではない。そこには彼なりの理由があった。

 上岡の存在が全国区で知られるきっかけとなったのが、1987年に始まった「鶴瓶上岡パペポTV」(読売テレビ)だった。この番組では、笑福亭鶴瓶と上岡が何のテーマも決めずに60分間しゃべっていた。

 自分の体験したことや感じたことをストレートに話す鶴瓶に対して、上岡は理屈っぽくクールに対応する。その対象的なキャラクターのぶつかり合いによって笑いが生まれていた。

 見た目やキャラクターの印象としては、鶴瓶がふざけるボケ役で上岡がそれをたしなめるツッコミ役に見える。だが、実際には上岡の方が好き勝手に暴走して、鶴瓶が受けに回ることも多い。上岡が他人の悪口や放送禁止用語を口にして、オンエア時に規制音が入るのも恒例になっていた。

 上岡は、この番組における2人のトークは「楽屋話」のようなものだと考えていた。楽屋話とは、芸人同士が楽屋の中で交わす他愛もない雑談のことである。上岡は笑いの世界に入った当時、先輩芸人たちの楽屋話の面白さに魅入られていた。

 舞台の上で演じるネタの面白さとは別の種類の笑いがそこにはあった。「パペポTV」ではその雰囲気を再現しようとしていたのだ。

 ときに放送禁止用語を口にするのも、上岡流の視聴者へのサービスだった。内容としては大したことを言っていなくても、言葉が伏せられているとそれだけで視聴者の想像力がかき立てられ、興味がそそられる。そこが狙いだった。

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