音楽で喜怒哀楽を表現するのは邪道だった――そもそも音楽は何のために作られていたのか

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 音楽は人間の感情を表現する芸術である――こう言うと、誰もが「そんなのは当たり前だ」と思うのではないだろうか。

 しかし、音楽史をひもとくと、音楽で人間の喜怒哀楽を表現するようになったのは近代以降のこと。それまでは、音楽は神に奉納するものであって、人間が聴いて楽しむためのものではなかったという。
 
 では、いつ、どのようにして、音楽が人間の感情を表現するようになったか。岡田暁生さんと片山杜秀さんの対談本『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けしよう。

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岡田:クラシック音楽の歴史は、音楽が世俗化ないし感覚化していく歴史だったと見ることができます。もともと宗教的メディテーションから始まったものが、次第に生身の人間が聴いて楽しんだり、感動するものになり始めた。少しずつ少しずつ宗教から離れて、芸術家の個性が出てきた。

片山:個性が出てくる前というのは、どういう段階を踏むということに?

岡田:中世の音楽のイメージは、端的に言って「異界からの音楽」です。「この世ならぬもの」が響いてくるような音楽。ところがルネサンスになってくると、普通の意味で「きれい」な音楽になり始める。ジョスカン・デ・プレはルネサンス最大の作曲家といっていいでしょうが、彼の合唱曲は本当に美しい。人間が地上で楽しめる。ジョスカンは盛期ルネサンス、つまり15世紀の人でした。

 さらにルネサンスも終わり、16世紀末になってくると、「人間ドラマ」が加わってくる。「美しい」だけじゃ物足りなくて、「劇的」じゃないと満足できなくなる。こうやって「オペラ」というジャンルが生まれる。《オルフェオ》や《ポッペアの戴冠》を残したモンテヴェルディは、歴史上最初のオペラ作曲家といってもいいでしょう。

 ものすごく図式的にいえば、「中世=奉納」→「ルネサンス盛期=美」→「ルネサンス末期=ドラマ」と、音楽の性格が変遷してきたってことでしょうかね。怒りとか哀しみとか戦いとか愛が音楽表現の対象になり始めたのは、まさにこの時代からです。「ムジカ・ラップレゼンタティーヴォ」(表現する音楽)というやつですね。「音楽が喜怒哀楽を表現する」って、そんなのは当たり前じゃないかと思う人もいるだろうけど、それは16世紀の終わりころからやっと始まった。

片山:ルネサンスではまだ萌芽段階で、バロック時代を迎えて「表現する音楽」が本格的に開花するというわけですね。

岡田:このころから音楽の奉納対象に、神さまだけでなく、王さまも加わってくる。音楽が王を褒め称えるものになる。絶対王政の始まりです。ただし王というのは、ルイ14世のように、「王権神授説」、つまり神さまから王権を授かった「神さまの代理人」ということになっているので、半分はまだ神さまへの奉納のようなものでしたが。

片山:キリスト教世界では、まだ神や教会に対して畏れ多いところがあるから、初期のオペラなどは、キリスト教以前のギリシア・ローマ神話に託して物語をつくっていた。しかし実は、当時の世俗的な同時代人の感情を、ゼウスだとかアポロンだとかに投影していたに過ぎない。キリスト教より前の話だから許されるというわけです。結局、ルネサンスというのは、ギリシア・ローマ神話で人間の気持ちを表現していたのでしょうね。

オペラも歌舞伎も「方便」だった

岡田:日本で言えば、江戸時代の頃は実在の事件をそのまま歌舞伎化できないので、みんな鎌倉時代に仮託して描いていたようなものですね。

片山:そうそう。音楽の話からずれますが、江戸時代の儒学や朱子学の人たち、たとえば荻生徂徠とか伊藤仁斎とかが、『論語』を自分で読んで、独自に解釈し始める。それを「古学」に帰ると言っています。しかしこれなども、伝統的な解釈は否定して、自分の思想を投影したいがために、とりあえずそれを「古(いにしえ)に帰る」と称していたわけでしょう。再解釈の方便ですね。

 ルネサンスの「古楽」も理屈は同じで、ギリシア・ローマ神話の世界を勉強しているように見せて、実は、自分のことを言っているだけ。すると、もっと大胆に自分のやりたいことをやる人が出てくる。そういう形で、ポリフォニー(多声部音楽)による教会音楽からモノディー(伴奏つき独唱音楽)による世俗音楽へと進み、オペラのようなドラマティックな音楽が急速に発展した。

岡田:中世からルネサンスの教会音楽はポリフォニー中心。つまり多声楽で、複数の「声=パート」が、少しずつずれたりしながら、めいめいメロディーを唱える。教会の会衆がばらばらと、それでも声を合わせて、一緒に歌うイメージです。それに対してモノディーは1600年ごろ、絶対王政が確立する時代に生まれたスタイルで、一人がメロディーを歌い、それを和音楽器が伴奏する。要するに今の私たちが「これが音楽だ」と思っている音楽スタイルです。「たった一人の個人」というか、「たった一つのメロディー」が専制支配して、その他大勢が伴奏に回る。まさに絶対王政の時代の音楽。現代のカラオケだって一種のモノディーですよね。テンポがずれていようが、音程がふらつこうがおかまいなしに、マイクをもって自分に酔える人は、絶対王政の時代の国王の全能感を感じているんだろう。

片山:キリスト教による永遠の世界が崩れ去り、世俗が増大する。やがてそれは王の権力にもなり、個人の富にもなる。個人が富を持てば、お金の力で勝手ができるようになり、さまざまな欲望や感情が生まれ、恋愛もするようになって、そこに愛憎劇が生まれ、それをドラマとして見たくなる。しかし、まだ教会の目も光っていて、世俗の話にはできないから、ギリシア・ローマ神話の話にして、オペラにしてみんなで見るようになった。なんだかおかしな王政復古的な話だけど、やりたいことをやるために「昔」を使う時代がルネサンスだった。

「快楽芸術」になった音楽

片山:しかしその「昔」にこだわらないで先に進もうとする考え方が生まれてくる、それこそがバロックで、バッハの時代でしょう。

 バッハがルター派のプロテスタントだったことは示唆に富んでいると思います。長く続いたカトリック支配に抗して、世俗的な権力と経済力が出てくることによって、プロテスタントは誕生しました。教会よりも強い政治権力が出てきて、王権神授説が生まれ、世俗を支配している王が神のようにえらいということになって、どんどん社会の世俗化が進んだ。

 そうなると、なんだか北一輝みたいな話になるけど、王とか天皇とか、いままで特定のえらい人だけが持っていたものを、庶民みんなで分かち合うことこそが「市民化」だと。そして、一般市民も喜怒哀楽の感情とかを表現していいんだということになった。

岡田:端的にいって、バロックに至るまでの西洋音楽の歴史は、キリスト教を隠れ蓑に、「教会のための音楽です」という顔をしながら、表現の自由を少しずつ入れていくプロセスだった。それが決定的になり始めるのがルネサンス。キリスト教の束縛から逃れるための口実として、聖書ネタ以外に、「古代ギリシア神話」というもう一つの「隠れ蓑」が加わる。古代神話は聖書ネタだとやりにくいエロティックな表現の口実としても向いていたでしょうし。美術史と同じですね。

 考えてみれば、音楽というのは本質的に大変エロティックな芸術です。下手するとワイセツになりかねないこの快楽芸術が、教会に抑圧され、聖書や神話を隠れ蓑にしながら、ルネサンスあたりから徐々に「人間が楽しむ」ものになり始めた。とりわけ王侯貴族は音楽を公然と自分自身の悦楽として楽しむようになった。しかし同時に、「市民だってこの楽しみのおこぼれにあずかったっていいじゃないか」という動きが、徐々にではあるけれど出てくる。クラシック音楽が登場する前段として、このあたりの文脈は抑えておく必要があるということですね。

※岡田暁生・片山杜秀『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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