片山杜秀氏と岡田暁生氏が語り尽くした『ごまかさないクラシック音楽』は、他の入門書とどこが違うのか

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「第九」のかわりに「涅槃交響曲」

C子「みなさんのCDに比べると、私のはとても地味で……」

(C子さんのCDは、『プロテスタント教会音楽曲集/神は世を愛し』)

A男・B雄「……」

C子「私の実家は、以前、幼稚園を経営していたのですが、運営母体はプロテスタント系の小さな教会でした。そこでよくレコード鑑賞会をやっていたんです。クラシック・ファンの信者さんによる解説付きで。かかるのはバッハばかりでしたが」

A男「本書で指摘されているように、バッハはプロテスタントでしたからね。ローマ・カトリックではないんです。バッハを聴くとき、そのことがいかに重要かも、お二人が縷々述べていますね」

C子「そうなんです。しかも本書によれば、本来バッハのカンタータはすべて〈教会暦〉に従って演奏される日が決まっており、《マタイ受難曲》などはキリスト受難の〈聖金曜日〉(3月末~4月中旬)に上演されるべきだそうです。なのに日本では1年中、あちこちのコンサート・ホールで演奏されている、と。恥ずかしながらプロテスタント教会にいながら、よく知りませんでした」

A男「岡田さんも片山さんも、ローマ・カトリック系の学校出身だそうですね。そのせいか片山さんは『プロテスタントの戦闘的な、駆り立てるような、それにはちょっとついていけない』と述べています。岡田さんに至っては『狂気そのものと言っていい受苦を、私はバッハの《マタイ受難曲》にも感じるんですよ』とまで述べています。まさに本音の発言で、本書はそういうところが面白い。カトリックの人たちから見たら、バッハにはそういうイメージがあるんですね。たしかに《マタイ受難曲》など、全編血まみれの嘆きの音楽ですが」

B雄「で、C子さんのこのCDは……」

C子「実家の教会にあったものです。エヴァンゲリウム・カントライという日本の聖歌合唱団とオルガンの演奏で、プロテスタント教会の曲ばかりです。よく教会や幼稚園で流していました」

(一部を聴く)

A男「なるほど。いわゆる一般のバロック名曲集とは、まったく雰囲気が違いますね。オルガンも聖歌も深刻ムードで、牧師さんの聖書朗読もある。いかにも〈プロテスタント教会〉ですね」

C子「今回、30年ぶりに聴きなおしたのですが、本書を読んだあとだったのでイメージが変わりました。バッハのコラール《人よ、罪に泣け》BWV402など、昔は哀しげできれいな曲だなと感じる程度でした。いまでは本書のおかげで、血まみれとまではいいませんが、全人類に反省を促す強い主張の音楽に聴こえます」

B雄「たしかにそうです。本書は、すこし音楽を知っている人が読むと、そういう新しい聴き方ができる〈再入門書〉のようにも感じました」

A男「ほんとうですね。実は私、もう1枚、本書がきっかけで聴きなおしたCDを持ってきたんです。P.142で片山さんが、毎年末にやる《第九》にかわって、これを聴いたらどうかと提案している……」

(そのCDを出す)

B雄「黛敏郎の《涅槃交響曲》! これって声明とかお経の音楽では?」

A男「片山さんも言ってるじゃないですか。〈涅槃〉は欲得や俗世から離れることなので、《第九》よりも年末にはぴったりだ、〈除夜の鐘〉効果もあると」

B雄「勘弁してくださいよ。まだ成仏したくありません。本書を読んで聴きなおしたくなった曲が、山ほどあるんですから」

富樫鉄火(とがし・てっか)
昭和の香り漂う音楽ライター。吹奏楽、クラシック、映画音楽などを中心に音楽全般を執筆。東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラなどの解説も手がける。

デイリー新潮編集部

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