なぜ「クラシック音楽」は「番号」で呼ばれる作品が多いのか 数字にまつわる数奇な物語

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有名作曲家を死に至らしめた「第九の呪い」

 今日、9月4日は「クラシックの日」……と言っても、多くの人は知らないだろうが、「ク(9)ラシ(4)ック」という数字のもじりから、日本音楽マネージャー協会が1990年に制定したそうだ。

 そこで本日は、「数字/番号」という切り口から、クラシック音楽にまつわる逸話を紹介したい。自他ともに認める「番号マニア」の佐藤健太郎さんは、新刊『番号は謎』において、クラシック音楽についている「作品番号」に注目している。

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観客を驚愕させたハイドン「94番」

「第九」の名で親しまれるベートーベンの交響曲第9番を筆頭に、クラシックでは番号で呼ばれる作品は数多い。

 これはひとつには、クラシック分野に「絶対音楽」が多いためである。何か決まったイメージやテーマに沿って作られた「標題音楽」とは異なり、純粋な音の構成のみで自己完結的な世界を形成する「絶対音楽」では、具体的なタイトルがつけにくいので、「交響曲第╳番」といった表記になる。番号というものは、対象が本来持っている意味を消し去ってしまう働きを持つが、この場合それがポジティブに活用されているわけだ。

 ただし聞く方としては、番号だけではやはり印象に残りにくい。このため、後世になってから愛称がつけられ、そちらが有名になっている作品も多い。たとえばベートーベンの交響曲第5番「運命」なども、作曲者自身がつけた題名ではない。

 ショパンの「別れの曲」も、誰もが耳にしたことのある有名な曲だが、正式なタイトルは「練習曲作品10第3番ホ長調」という味気ないものだ。これは、1934年のドイツ映画「別れの曲」の主題として取り上げられたことから、いつしか曲の方もこのタイトルで知られるようになったという珍しいケースだ。

 また、ハイドンの交響曲第94番「驚愕」は、居眠りする観客を叩き起こす目的で、第2楽章にティンパニを力いっぱい打つ音が含まれているためにこの愛称がついた。その他、クラシックの曲名には面白い由来のものがたくさんある。

マーラーを死に至らしめた「第九の呪い」

 交響曲の番号は、作曲者本人がつけるケースもあるし、楽譜の出版社や後世の研究者がつけたケースもある。ドボルザークの交響曲「新世界より」は、かつては交響曲第5番とされていたが、のちに作曲順に番号が振り直され、現在では第9番として定着している。

 先にも出てきたベートーベンの第5番「運命」と第6番「田園」は、1808年の同じコンサートで初演されたが、この時は番号が逆につけられていた。翌年に出版された楽譜から、現在使われる番号に変わっている。

 これに限らずクラシック曲の番号は、後からつけ直されたり、未発表譜が見つかったり、実は他人の作品だったことが判明したりで、時代を追うに従って変わっていくこともある。ここで取り上げる番号も絶対のものではなく、同じ曲に別番号がついているケースも多いことをお断りしておく。

 さてベートーベンは生涯に9曲の交響曲を作曲したが、これを超える数の交響曲を遺した作曲家は多くない。シューベルトは「未完成交響曲」を含めて8曲、ブルックナーやドボルザークも9曲までで生涯を終えている(ブルックナーの第9番は未完成)。このため「第9番交響曲を書き上げるとその作曲家は亡くなる」というジンクスがささやかれるようになった。

 この「第九の呪い」を恐れたのが、マーラーだ。このため彼は、第8番の後に作った曲を交響曲とみなさず、「大地の歌」と名付けて発表した。これで安心したのかその次には第9番を書いたが、第10番は未完のまま死去し、結果として「第九の呪い」のジンクスを補強する形となってしまった。

 もっとも、これ以前にも9曲以上の交響曲を書いた作曲家は何人もいた。モーツァルトが生涯で書いた交響曲は41曲とされるし、多作で知られたハイドンは第104番までの交響曲を発表しているというから、そのエネルギーには驚く(ただしこれらも、どこまでを交響曲として数えるかなどの問題もあり、研究者によって数字は一定しない)。

 現代の作曲家には、もっと上手がいる。フィンランド出身の指揮者・作曲者であるレイフ・セーゲルスタムの交響曲は、本書執筆時点で第339番に達している。しかも世界中を飛び回って指揮を行う合間を縫って、依頼を受けてではなく本人の意志で自主的に作曲しての数字だから、その創作力たるや呆れる他ない。

巨匠ブルックナーが遺した「交響曲マイナス1番」

「交響曲第0番」というと、何だか小説か映画のタイトルのようだが、実際に存在する曲だ。ソ連時代に活躍した作曲家アルフレート・シュニトケは合計10曲の交響曲を残しており、その最初の作品が「第0番」とされている。学生時代の習作的位置づけの作品であるためと思われるが、珍しいケースだ。

 より有名なのは、ブルックナーの交響曲第0番だろう。これはシュニトケのケースとは異なり、交響曲第1番の後に書かれた作品と考えられている。当初は第2番として発表予定であったが、出来に自信がなかったのか正式な発表はされなかった。

 ブルックナーは晩年になり、若い頃に書いた譜面を整理し、不出来なものは破棄している。だがこの作品には、「0」「単なる習作」などの書き込みがなされたのみで、捨てられずに譜面が残された。この「0」がきっかけで、この曲は「交響曲第0番」と呼ばれるようになっている。

 ブルックナーがこの「0」にどういう意味を込めたかは永遠の謎だが、ともかくおかげで後世の我々には、ちょっとミステリアスなタイトルを持つ作品が残された。その後、第0番は多くのオーケストラによって演奏されており、今ではブルックナー作品のひとつとしてすっかり市民権を得ている。

 ブルックナーにはもう1作、正式な番号が振られていない交響曲がある。こちらは初期の習作的存在であったためだが、破棄を免れて残された。こちらは「交響曲第00番」あるいは「交響曲マイナス1番」と呼ばれることがある。マイナス番号は、あらゆる分野を見回しても珍しいケースといえる。

デイリー新潮編集部

2020年9月4日掲載

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