管理職は必読!「オーケストラの名指揮者」はどうやって人の力を引き出すのか

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 今から113年前の今日、すなわち1908年7月9日に、日本音楽史に名を残す大指揮者・朝比奈隆が、東京で誕生した。経済学者の猪木武徳さんの新刊『社会思想としてのクラシック音楽』の中から、朝比奈の指揮について書かれた一節を紹介しよう。

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潜在能力を引き出すのが指揮者の役目

 大阪フィルハーモニー交響楽団を長年にわたって指揮した朝比奈隆にわたしは長く敬意と親近感を抱いてきた。友人のM君から京都大学交響楽団(京大オケ)のOBであった朝比奈についての逸話を聞く機会がたびたびあったことにもよるが、その指揮ぶりから「自分の好みを静かに語る」熱意になんとなく好感を持つようになった。教養と品の良さ、適度なスター性のある人間的魅力が生み出す彼の音楽は温かい。

 日本だけでなくドイツや米国の著名なオーケストラを指揮してきた経験から、朝比奈が、晩年語ったオーケストラについての感想は滋味に満ちており、結局、豊かな音楽世界を切り拓くのは、人格とセンスと努力、そして音楽への愛情以外の何物でもないという当たり前のことを教えられる。朝比奈は指揮台でやたらと動かない。アルトゥル・ニキシュやピエール・モントゥーはもっと動かなかったそうだ。筆者が幾度となく指揮ぶりを見たカール・ベームもほとんど動かなかった。その方がプレーヤーたちは指揮者に注意を向けるという。

 朝比奈は言う。100人近い人間の仕事だから、心の通い合いがなければならない。棒を見てその通り演奏しているだけでは大して面白いものができない。大きなきれいな音を出せるかという点が重要で、そのためにはいい呼吸をすること。そうすれば次に非常に柔らかい音が出る。暗い影の部分があると、そこも美しく聴こえる。その例示としてマーラー「交響曲第3番」の終楽章を挙げている。

 体力と技術も関係してくるので、オーケストラの能力が急に上昇するということはない。その能力を引き出して、プレーヤーたちが伸び伸びと自分の思う通りに演奏できるようにするのが指揮者の役目だと語る。

“拍車”を使うのは二流の証拠

 その「伸び伸びと自分の思う通りに」ということを、朝比奈は若い頃練習した乗馬に喩える。オーケストラは生き物だから、無理に手綱を引かない。また乗馬では「拍車」の使い方が一つのポイントになる。「拍車」とは、馬に乗る時に靴のかかとに着ける金具だが、ひとつの端に歯車があり、それで馬の腹部を刺激しながら馬をコントロールする。朝比奈は、非常の時以外は「拍車」を使うなと戒める。使うにしても合図だけであるべきで、たまに馬の腹を傷つけるような奴がいるが、あれはいかん、と言う。いい姿勢でバランスよく乗っていれば馬も乗せ心地がいいはずだと考えるのだ(『朝比奈隆 わが回想』)。

 朝比奈の文章を読んでいると、彼のよく指揮したブルックナーを聴いてみたくなる。筆者は「長い」という理由からブルックナーを敬遠してきたが、気持ちを改めてブルックナーの「9番」を聴いてみた。死の病に侵されたブルックナーの未完に終わった遺作の第1楽章の表情指定は、Feierlich(厳かに)misterioso(神秘的に)とある。

 厚い和音の進行、長いメロディー、金管楽器の華やかな響き、それらが一体となって、マーラーとはまた別の形で、ブルックナーの熱い宗教的感情が音楽に導かれ、音楽を超え、そして音楽に別れを告げているように聴こえる。大きくなりすぎてしまった交響曲が、オーケストラのソナタとしての交響曲に、最後の挨拶を歌っているようにも感じてしまうのだ。

猪木武徳(いのき・たけのり) 1945年、滋賀県生まれ。経済学者。大阪大学名誉教授。元日本経済学会会長。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学特任教授等を歴任。主な著書に、『経済思想』(サントリー学芸賞)、『自由と秩序』(読売・吉野作造賞)、『戦後世界経済史』、『経済学に何ができるか』、『自由の思想史』、『デモクラシーの宿命』など。

デイリー新潮編集部

2021年7月9日掲載

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