日本女性初のマラソン完走、小幡キヨ子 転機となった「佐渡での集団生活」(小林信也)

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 日本女性で初めて国内の主要マラソン大会を完走したのは1979年2月の別大毎日マラソンの小幡キヨ子だ。新潟県広神村(現魚沼市)に生まれ育ったキヨ子は、小出高校陸上部で400メートルと800メートルの選手。練習では10キロを約40分で走っていた。

「卒業したら働きながら栄養士の資格を取りたい」、名古屋の会社に就職を決めていた。が、高3の冬休み直前、人生は大きく転回する。

「陸上部の監督に呼ばれて体育教官室に行くと、知らない男性が座っていました」

 その男性が唐突に言った。

「僕たちはボストン・マラソンを目指しているんだ」

 面食らったが、数カ月前に見た新聞が頭に浮かんだ。

〈ゴーマン美智子がボストン・マラソンで優勝〉

 女性でもマラソンが走れるんだ……、キヨ子は驚き、感銘を受けた。あの日の遠い憧れが突然、目の前に現れた感じだった。

「佐渡に遊びにおいでよ」

 言われて心が動いた。田耕(でんたがやす)というその男性は佐渡で鬼太鼓座(おんでこざ)という太鼓集団をやっていると言う。とにかく冬休みに、佐渡に行ってみることにした。

 鬼太鼓座は、学生運動で大学を中退した田が民俗学者・宮本常一の影響で全国を放浪した後、新たな4年制大学や“職人村”の設立を目指し、佐渡に作った集団だ。太鼓などの伝統芸能を海外で演奏し資金を集める計画。太鼓の稽古の一環としてマラソンを採り入れたのも田の発想だった。

 佐渡では廃校を利用した合宿所で若者たちが集団生活をしていた。

「自分と近い年齢の人ばかりだし、陸上部の合宿みたいですぐなじめました」

 毎朝10キロ走り、9時から太鼓の稽古。午後また20キロ走る生活に身を投じてもいいとキヨ子は思った。

「高3の北信越大会で負けてインターハイに出られなかった。それで、もう少し陸上を続けたい思いが心の中にあったのです」

 田の誘いを受け入れ、卒業後、佐渡に渡った。

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