日本女性初のマラソン完走、小幡キヨ子 転機となった「佐渡での集団生活」(小林信也)

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「一緒に走ろうよ」

 入座直後、75年4月のボストン・マラソン。鬼太鼓座15人のメンバーは完走した後、ゴール近くに設えておいた太鼓を演奏し、聴衆の度肝を抜いた。演奏に衝撃を受けたひとりに、当時ボストン・フィルの指揮者だった小澤征爾がいた。メンバーは小澤の自宅に招かれた。ボストンシンフォニーホールで太鼓を披露したとき、デザイナーのピエール・カルダンが見ていて「私の劇場でも公演してほしい」と頼まれ、翌月パリに渡った。キヨ子はまだ裏方だったが、目まぐるしい変化にただ圧倒された。

「農繁期には田植えや稲刈りを手伝い、泥だらけになっていた私がボストンやパリといった大都市を旅するなんて、不思議でした」

 キヨ子にとってボストンでの大きな体験はゴーマン美智子との出会いだった。レース前に紹介されて初めて会った。当日、キヨ子が残り10キロ地点でレースを見ていると、長女を出産したばかりで出場していないはずの美智子が楽しそうに走って来た。そして、キヨ子を見つけ「一緒に走ろうよ」と叫んだ。キヨ子は思わず飛び出し、美智子とゴールまで10キロを併走した。

「ゼッケンもないのにと思いましたが、ボストン・マラソンはお祭りみたいな感じで、それをとがめる雰囲気はありませんでした」

 走る人、応援する人がそれぞれ楽しんでいる。勝ち負けにこだわる競技しか知らなかったキヨ子は、アメリカの熱いエネルギーに衝撃を受けた。それから数年トレーニングに没頭できたのは、勝負を超える熱さに動かされたからだ。初出場から3年目の78年ボストンでは2時間52分34秒で女子6位に入賞した。

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