従業員の幸福度が高まれば企業は成長する――前野隆司(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授)【佐藤優の頂上対決】

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幸せを呼ぶ組織とは

佐藤 もっとも江戸時代には、石田梅岩の心学や二宮尊徳の報徳思想など、利他の精神で幸福度を高めるような経営思想がありました。

前野 他にも近江商人の「売手よし、買手よし、世間よし」の「三方よし」は、ウェルビーイング経営の思想だと思いますし、渋沢栄一の「合本主義」もそうです。一部の出資者が会社を支配するのではなく、多くの者が出資者として参加し、事業から生じる利益を分け合う。これもウェルビーイング経営です。

佐藤 だから日本にあったそうした思想を呼び起こせばいい。

前野 その通りです。日本の8割ほどは残念な会社ですが、1~2割の老舗企業やベンチャーにはちゃんとウェルビーイング経営をしている会社があります。

佐藤 前野先生はその代表例として「伊那食品工業」をよく紹介されていますね。

前野 伊那食品工業は長野県伊那市にある従業員500名ほどの寒天製造会社で、「幸せな会社」として非常に有名です。同社は従業員を第一に考え、目先の利益を求めず、売り上げや利益の目標は立てない。また業績評価はしないし、給料にもほとんど差がありません。

佐藤 それでいて、寒天の国内シェア8割でトップになっている。

前野 同社を育てた塚越寛最高顧問が約60年前に社長になった頃は、ほとんど最下位だったといいます。でも幸せに働くことを考えて経営したら、50期連続増収増益になったんですよ。

佐藤 幸せを第一にしたら、結果として利益がついてきた。

前野 伊那食品工業は「かんてんぱぱ」という商品で知られていますが、他にもハチミツと寒天を混ぜたり、寒天のグラノーラを作ったり、数多くの商品を展開しています。従業員がやりがいを感じ、創造性を発揮して生き生きと働いた結果、会社が大きく成長したのです。

佐藤 短期的利益は追求せず、利益第一主義でもない。そこには独自の経営哲学があったのですね。

前野 塚越氏は『リストラなしの「年輪経営」』という本を書いています。木は毎年少しずつ大きくなっていきます。今年は陽気がいいからといって、2倍になることはない。それが自然の摂理で、会社も毎年少しずつ伸びることを目指すべきだと説いています。

佐藤 前野先生はこの伊那食品工業の他、ウェルビーイング企業として徳島県で精密ナットを作っている「西精工」や、高知県の自動車ディーラー「ネッツトヨタ南国」などを挙げておられますが、どこも中小企業です。やはり大企業は難しいのでしょうか。

前野 中小企業は、社長が「社員を幸せにするぞ!」と、心意気を伝え、従業員みんなとコミュニケーションを取れば一丸となれますが、大企業では難しい。100人の会社ならすぐに伝わる話も、1万人となるとなかなか行き渡らないですから。

佐藤 また創業者社長の多い中小企業と違って大企業はサラリーマン社長ですから、会社への思いの深さが違うという要因もあるでしょうね。

前野 サラリーマン社長だと、自分が社長の時だけは業績を悪化させたくないという気持ちにもなります。

佐藤 それが普通でしょう。

前野 理論的には1万人の会社を100のユニットに分けて、社長の意を受けた100人の部長たちが取り組めばいい。ですが、だいたい2割くらいは反発分子になるんですね。そこが難しい。

佐藤 2割ですか。組織は優秀な上位が2割、平均的中位が6割、そして下位が2割で構成されているともいいますが、幸せな会社はどうなのでしょう。

前野 伊那食品工業は、10対0対0ですよ。従業員にインタビューをしてみると、みんなが「成長したい」「貢献したい」と言います。

佐藤 2対6対2というのは、どの程度普遍性があるんでしょうか。

前野 一般的な管理をして、サボれるくらいの緩さがあると、そうなるのでしょうね。ちゃんと仕組みを作れば、10対0対0は可能だと思います。

佐藤 そこには工学的な発想が必要になってきますね。

前野 ええ、そうしたテクノロジーとウェルビーイングを目指すマインドの両方が必要です。

佐藤 前野先生は、ティール組織やホラクラシー組織と呼ばれる組織形態に注目されておられますね。

前野 組織の意思決定に着目して、支配的なトップが判断する組織から、構成員それぞれが主体的に判断できる組織までを段階的に分けたとき、その最終形となるのがティール組織です。そこでは従来のようなピラミッド型の組織構造はなく、社員一人ひとりが主体性を持って意思決定をする。私が紹介しているところの多くがそうですね。

佐藤 いわゆる全員経営ですね。

前野 一方、ホラクラシー組織は、形態から組織を分析したもので、中央集権型やピラミッド型を排し、フラットなチームやサークルによって成り立つ組織を指します。こちらも組織の誰もが主体的に考え行動することで、生産性向上やイノベーションの創出を図ります。

佐藤 このコロナ禍は、こうした組織へ会社が変わっていくいいチャンスになるはずです。

前野 アメリカは一昨年の1年間で400万人が起業したといいます。他方、日本を調べたら10万人ほどだったんです。アメリカ人は多くがチャレンジしたのに、日本人はじっと災難が去るのを待っていた。もちろん多くは消えていくのでしょうが、この違いは社会に大きな影響を与えると思います。

佐藤 何かが変わる時、アメリカは素早く動く。それが強みです。

前野 利益第一主義ではもう企業は立ち行かない時代になっています。変革期をチャンスと捉えて、いまこそ日本の企業もウェルビーイングを中心に据えた組織に変化していってほしいと思いますね。

前野隆司(まえのたかし) 慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授
1962年山口県生まれ。東京工業大学工学部卒。同大学院修士課程修了。86年キヤノン入社、カメラモーターの開発に携わる。95年慶應義塾大学でロボット研究を始め、同大理学部教授、カルフォルニア大学バークレー校客員研究員、ハーバード大学客員教授を歴任。2008年より現職、ウェルビーイングリサーチセンター長も兼任。

週刊新潮 2023年4月6日号掲載

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