袴田巖さんと姉のひで子さんに届いた、東京高検“抗告断念”の一報。その時、2人は…居合わせたジャーナリストの証言

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 遂にこの日が来た。3月13日、東京高裁で「袴田事件」の再審開始決定が出された。東京高検の最高裁への特別抗告の期限は5日間(土日は除外)で、20日の月曜日がそのリミットだった。そして届いた「抗告断念」の一報。その日、筆者は静岡県浜松市の袴田ひで子さん(90)宅で、待ちわびた朗報を受けた瞬間の彼女を報道関係者として唯一人、運よく目撃することができた。1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺された事件で犯人とされ、死刑囚となった袴田巖さん(87)と姉のひで子さんの戦いを綴る連載「袴田事件と世界一の姉」の32回目。

「特別抗告する方針」の報道

「袴田事件」の再審開始決定が出る少し前の2月27日、滋賀県の「日野町事件」に関して、大阪高裁(石川恭司裁判長)が大津地裁に次いで2度目の再審開始決定を出した。しかし、3月5日になって大阪高検が最高裁に特別抗告をした。強盗殺人の罪で無期懲役が確定し、服役中に75歳で病死した阪原弘さんの名誉回復のための再審がいつ開かれるのか、再びわからなくなった。

「袴田事件」に関しても、再審開始決定を一面で報じた3月14日付けの毎日新聞の朝刊には「検察側は最高裁に特別抗告する方針」と書かれていた。

 さらに、今回の東京高裁(大善文男裁判長)の決定はかなり明確に「捜査機関の証拠捏造」を指摘していたため、メンツを重んじる検察として抗告をしなければ引っ込みがつかないのではないかとも懸念していた。そこへ来ての新聞報道だったので、筆者は「抗告してくるのか」と悲観してしまい、87歳と90歳になる高齢の2人の姉弟の顔が浮かんだ。

 2018年の東京高裁の再審開始取り消し決定後のように、ひで子さんは再び「100歳まででも戦います」と言わなくてはならないのかとも考えた。

「抗告は絶対しない」と断言する弁護士や支援者

 再審開始決定の直後(否、その前から)、東京高検が「抗告か」「断念か」をめぐって各社が様々報道した。

 捜査機関の発表に先駆けて報道することを業界では「前打ち記事」といい、検察側もスクープに見せかけて報道させることで世の反応を測る狙いがある。とはいえ、毎日新聞は相当の確度がない限り、トップ記事で「特別抗告の方針」とは書かないはずだ。

 再審開始決定の翌14日午後、参議院会館で院内集会(報告会)があった。車椅子で建物に入ってきた弁護団の西嶋勝彦団長(82)に駆け寄って「毎日新聞が抗告するって書いていますよ」と知らせると「えっ、本当、そうなの。知らなかった」と話した。登壇した西嶋弁護団長は「特別抗告するという報道もあるようだがけしからん話です」として決定への経緯などを説明していた。

 情けないかな、筆者は報道を見て「やはり検察は抗告するのか」と考えた。だから「抗告は絶対しないはず」「絶対にできない」と断言していた弁護士や支援者等には敬意を表したい。

 3月19日にはJR浜松駅前近くの「アクト浜松」で「袴田巖さん応援大会」があった。

 袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会(楳田民夫代表)の山崎俊樹さん(69)に「粟野さんは抗告すると思いますか?」と問われ、「毎日新聞が特別抗告するって書いているし、記者たちも検察の共犯みたいなものですから(抗告する可能性は高いでしょう)」などと話した。

「応援大会」は、弁護団の角替清美氏が報告した後、元検察官で弁護士の市川寛氏、元裁判官の水野智幸・法政大学法科大学院教授、袴田弁護団の間光洋氏らがパネルディスカッションをした。進行役は東京新聞(中日新聞)の著名記者・望月衣塑子氏。焦点は「検察とは」だったが、ここでは内容は割愛する。

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