「無期懲役では反省しない」死刑判決を受けた当事者の肉声 世界を取材をしてたどり着いた「死刑制度を残すべき理由」

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死刑は誰のためのものか

 無期懲役刑に服する礒飛は、反省しているのだろうか。自らの死刑を望む無期懲役囚の作家・美達大和は、獄中からの著書『罪を償うということ』(小学館新書)の中で、多くの無期懲役囚に共通する心理を見抜いている。

〈相手にも落ち度があるならまだしも、そうではないのにもかかわらず、被害者と遺族のことなど眼中になく、ひたすら「シャバに出たい」としか考えていないのが現実です〉

 そして、夫を失った有紀は、「犯罪者に対する憎しみは、遺族にしか分からない。生きて償ってもらわなくていい」と発言し、死刑の正当性を主張している。

 他方、先に見たように、感情を切り離し、人権や世界的な潮流から死刑を廃止すべきだと訴える活動家たちも多くいる。

 しかし、私にとって死刑とは、もはや遺族の気持ちや人権派の信条、世界の潮流との関係で考えるものではなくなっていた。死刑とはむしろ、その刑に直面する者が「より良く生きる」ためにあるのではないかと思うようになったのだ。

 死の恐怖に向き合い、欲を捨て、改心することのほうが、出所ばかり願う無期懲役よりも、人間としての変化を望めるのではないか。

無期懲役囚は反省するのか

 私は、今年の2月9日、ある未決囚に会ってみることにした。

 現在、大阪拘置所に収監されている上村隆(56歳)だ。2010~11年に兵庫県姫路市などで、男性3人に対して殺人や逮捕監禁致死をはたらいたとして、一審、二審ともに死刑判決を言い渡され、上告中だ。犯行を指示した主犯格とされる男性は昨年10月、無期懲役が確定している。

 午後1時55分、刑務官に車椅子を押され、上村が面会室に現れた。私は、12分という短い面会時間の中で、事件の動機や背景はともかく、彼の心の中を知ることに努めた。そこで、こう尋ねた。

「死刑判決が出てから、意識的な変化はありますか」

 声に力はないが、真剣な目で話す上村は、合掌のポーズをとった。

「朝晩、手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えるようになりましたね。相手が亡くなったことに対する責任は、やっぱりあると思ったので。1回に2分くらいの短い時間ですけどね」

 死を覚悟する上村は、遺族に対し、「申し訳ない気持ちが芽生えた」と呟いた。ただ、まだ改悛の過程を歩んでいるようにも見えた。

「首を絞めたことは後悔していません。私は、1人しかやってないし、何もしてない人を拉致したり、殺したりはしない」

 上村は、無差別殺人との違いを強調した。私は、礒飛のことを思い浮かべた。

「無期懲役囚は反省すると思いますか」

 そう聞くと上村は、「強盗や強姦殺人とかする人たちは、無期懲役のままだと、悪いことをしたとは思わないですよ」と答えた。

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