【追悼】ジャズの巨匠「ウェイン・ショーター」 LAの自宅に何枚もあった肖像画に描かれていた人は

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 日本では、ジャズをメインテーマとしたアニメ映画「BLUE GIANT」のヒットが話題となっている中、世界的なジャズ・プレイヤー、ウェイン・ショーターの訃報が伝えられた。長年にわたって第一線で活躍してきたレジェンドだが、私生活では事故で妻を亡くした失意の時期もあった。ちょうどその頃、自宅でのインタビューをしたという音楽ライターの神舘和典氏に、当時の様子や発言、そして彼の偉業について寄稿してもらった。

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 サクソフォンプレイヤーで、作曲家、ウェイン・ショーターが、3月2日にアメリカ、ロサンゼルスの病院でこの世を去った。89歳だった。

 ウェインはグラミー賞を13回受賞したジャズのレジェンド。1950年代から半世紀以上、第一線で活躍し続けた。最初に注目されたのは、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ在籍時。ずば抜けた演奏能力と作曲能力で、オーケストラの音楽監督になった。

 1959年には初リーダー作「イントロデューシング・ウェイン・ショーター」を発表。そして、マイルス・デイヴィス(トランペット)のグループに参加。メンバーは、トニー・ウィリアムス(ドラムス)、ロン・カーター(ベース)、ハービー・ハンコック(ピアノ)そして、ウェインとマイルス。この時期が“帝王”マイルスの黄金期と言われている。強力なメンバーのなかでウェインは次々と新曲を生み出し、マイルスもリスナーも驚愕させた。

 そして1970年、ジョー・ザビヌル(キーボード)らとジャズ・フュージョンを象徴する伝説のバンド、ウェザー・リポートを結成。「ウェザー・リポート」「ブラック・マーケット」など名アルバムを録音した。その後は、自分のクインテットやハービーとのデュオで、活動をしてきた。

飛行機事故で妻を亡くす

 ウェインに初めてインタビューしたのは1999年。取材を申し込むとロサンゼルスの自宅に招いてくれた。当時、ウェインは活力を失っていると言われている時期だった。

 1996年にウェインは飛行機の墜落事故で妻、アナ・マリアを失っている。アナはサプライズでウェインのツアー先を訪れようとして、事故に遭った。それ以降外出を好まなくなったとうわさされていたのだ。

 余談になるが、ウェインのインタビューの1か月前、サックスプレイヤーのブランフォード・マルサリスにニューヨークでインタビューした。そのときブランフォードに「ウェインに会ったら、僕の気持ちだと言って抱きしめてほしい」と言われた。ブランフォードは「レクイエム」というアルバムで、ウェインに捧げる「サウザンド・オータムズ」という曲をレコーディングしている。最愛の人が亡くなったとき、亡くなった本人と、残された者、どちらが多くの苦しみを背負うのか――。そのテーマを“千の秋”と表現して演奏した。

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